『秘密の花園』あらすじ&バーネットの生涯までを解説!

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『秘密の花園』あらすじ&バーネットの生涯までを解説!

『秘密の花園』の紹介

『秘密の花園』は、イギリス出身のフランシス・ホジソン・バーネットによる小説で、1911年に英米ほぼ同時に発売されました。

『小公子』(1886年)、『小公女』(1905年)とともに、バーネットの代表作とされています。

『秘密の花園』は、多くの言語に翻訳されたり、絵本となったりはもちろんのこと、映像化、舞台化など、様々なメディアで今なお親しまれている古典作品です。

ここでは『秘密の花園』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『秘密の花園』ーあらすじ

イギリス領のインドで暮らすメアリは、仕事ばかりの父と社交ばかりの母のもと放任され、親の愛に恵まれず、わがままで孤独な少女に育っていました。

10歳のある時コレラが広まり、両親が亡くなってしまいます。

孤児となったメアリは、イギリスのヨークシャー、ミッスルスウェイト屋敷に住む叔父に引き取られることになりました。

そこの女中マーサから、開かずの扉の先にあるという「秘密の庭」の話を聞き、興味を持ちます。

一人で散策し始めた矢先、仲良くなったコマドリに導かれるようにしてメアリは「秘密の庭」の鍵を発見、庭に足を踏み入れます。

マーサの弟で、動物と話せる少年ディコンと親しくなったメアリは、彼と共に荒れ果てた「秘密の庭」を蘇らせるため動き始めます。

同じ頃、屋敷内で誰かの泣き声を耳にしたメアリは、声をたどりコリンを見つけます。

病弱で車いす生活のコリンはクレイヴン氏の息子でメアリと同じ10歳でした。彼もまた親の愛に恵まれず、塞ぎがちで癇癪持ちでした。

メアリ、コリン、ディコンの3人は徐々に親しくなり「秘密の庭」での庭作りに励みます。

荒れた庭が美しく植物で覆われるようになると、魔法のような素晴らしいことが起こり始めます。

子どもたちの心身は回復し、立つこともできなかったコリンがついには立てるようになります。

一方、10年前の妻の死から立ち直れず、息子コリンとも接してこなかったクレイヴン氏は、外国各地を旅していましたが、ディコンの母からの手紙で屋敷に戻る決意をします。

妻が死んだ「秘密の庭」に向かったクレイヴン氏は、歩けないと思っていたコリンが走り出てくるのを目の当たりにし、美しく蘇った庭と明るい子どもたちに救われるのでした。

『秘密の花園』ー概要

主人公  メアリ・レノックス
主な登場人物 ディコン、コリン、クレイヴン氏、マーサ、メドロック夫人、老庭師ベン、スーザン
主な舞台 イギリス・ヨークシャー
時代背景 近代
作者  フランシス・ホジソン・バーネット

『秘密の花園』ー解説(考察)

作者バーネットの前衛的な人生が生んだ人物像

20世紀初頭に発表されたこの作品が、時を経て、今なお読み継がれているのは一体なぜなのでしょうか。どこに魅力があるのでしょうか。

読み手によって捉え方は様々あるでしょうが、私は登場人物のリアリティが時代にマッチしたからだろうと考えます。

では、このような作品を生んだ作者バーネットとは、どんな人物だったのでしょうか。

<バーネットの生涯・『秘密の花園』執筆まで>

フランシス・ホジソン・バーネットは、1849年イギリスのマンチェスターに生まれ、なに不自由のない生活を送っていました。

しかし、3歳のときに父エドウィンが卒中で他界してしまいます。母イライザは手を尽くすも、当時の不況もあって生活は苦しくなるばかりでした。

アメリカへ移住していたイライザの兄の勧めもあり、1865年に一家はアメリカ移住を決意します。フランシス16歳の時でした。

ところが、アメリカへ移住後も厳しい生活は続き、フランシスは家族を支えるために執筆を開始、雑誌社に売り込みを始めます。

その後、月に5~6編の仕事を抱える大衆作家となり、1877年に初の長編小説『ローリー家の娘』で高い評価を受け、作家として認められるようになりました。

1873年、フランシスが24歳の時に眼科医スワン・バーネットと結婚。1874年に第一子ライオネル、76年に第二子ヴィヴィアンが誕生しています。

しかし彼女は家庭に落ち着くよりも、社交界や文壇といった華やかな生活を好む女性となっていたようです。

そして1886年、代表作のひとつとなる『小公子』を発表、1905年には『小公女』を完成させます。

この間、1890年に長男ライオネルが結核に罹り、亡くなってしまいます。

1898年にはぎくしゃくしていた夫とも離婚、1900年にイタリアで再婚するも、翌々年には離婚しています。

この時期、バーネットは英ケント州メイサム館に居を構え、『秘密の花園』の執筆に入ったようです。

メイサム館でイギリス的な生活を送ったのち、バーネットは再びアメリカへ戻り、1911年に『秘密の花園』が発売されたのです。

こうしてみると、バーネットは当時の女性として、かなり先鋭的な生き方をされたようです。

今よりも女性の選択肢は限定されていただろうことを考えると、自分の力で稼ぎ、アメリカとイギリスを行き来するような生活を実践していたバーネットは、当時の価値観の枠に収まりきらない人物だったろうと思います。

<『秘密の花園』の再評価・バーネットとフェミニズム>

実際、『秘密の花園』は発売当時こそ評価されたものの一時下火となり、60年代以降に再評価されたとも言われています。

60年代以降のアメリカというのはフェミニズム運動が盛んになり始めた時期で、バーネットが女性作家であるということはもちろん、主人公メアリがいわゆる「女の子らしくない」描かれ方をしている点で、再注目されたのではと思うのです。

性別や年齢、人種など何かの属性にあてはめて人物を描くというのは、現在ではほぼ有り得ないことと思いますが、1900年代にそれをやってのけたバーネットがいかに前衛的であったか、彼女の生涯をみると少し納得できそうです。

そして「女の子らしくない」メアリは、登場からこんな描写で描かれます。

肉づきの薄い小さな顔に、貧相な体格。色あせたような髪がぺたんと頭に貼りつき、表情は不機嫌そのもの。

『秘密の花園』土屋京子訳,光文社古典新訳文庫,8P

この当時の作品の主人公設定としては、なかなか珍しいと思います。

その後も「かわいくない」が連発され、わがまま放題の女王様のように描かれるのです。女中のマーサを怒りにまかせて「ブタ」と罵ったり、コリンの癇癪に苛立って怒鳴りつけたり。

それまでの文学作品に出てくる子どもといえば、素直で健気で一生懸命で、といったイメージですが『秘密の花園』は違うのです。

世の中、素直で健気な子どもばかりでないのは誰しもわかることだろうと思いますが、そこを作者のバーネットは突いてきたのです。

私は先鋭的な人生を歩んだ作者だからこそ描けたのだろうと考えます。

『秘密の花園』は、人物にリアリティがあります。

そして、それこそが現代の感覚で受け入れやすく、この作品が今もなお読み継がれている要因のひとつだと思うのです。

『秘密の花園』ー感想

愛されない二人の子どもを救ったもの

この『秘密の花園』には、親の愛に恵まれずに育ってきた子どもが二人登場します。主人公メアリと、そのいとこコリンです。

彼らはどちらも裕福な家に生まれ、衣食住の不自由は一切ありません。

しかし従順な使用人たちに世話をされ、親と関わることもなく、わがままな性格になってしまいます。

孤独感や寂しさが身のうちにあることは、子どもの彼らはなかなか自覚できず、振る舞いが傲慢になるのです。

しかし、貧しい家庭ながらも朗らかで優しい「天使のような」ディコンや、その姉で気さくな女中マーサ、そして姉弟の母であるスーザンなどと関わるうちに人の愛情を知り、成長していきます。

『秘密の花園』は、そういった人間関係による成長ももちろん描かれているのですが、それだけでなく、人が心身ともに健康に生きる上では自然も大切なのだということも描かれているように思います。

10年間打ち捨てられ、荒れ果てた庭が、メアリやディコン、コリン、庭師のベンなどによって徐々に蘇る過程の描写はとても美しいです。

風や光、広大なムーアについて、そこに住む動物や昆虫、草花の色やかたち、なども細かく描かれており、メアリやコリンがそこに惹きつけられていく様子も描かれています。

人間は人間だけで生きているのではなく、多くの命の中のひとつに過ぎないということ、そしてそのことを経験として知ることが、愛を知らなかった二人の子どもを明るく未来に向かわせる活力になるのです。

そして、そんな活力に満ちた子ども達から周囲の大人も影響を受けます。

妻を亡くしてから塞ぎこんでいたクレイヴン氏も、自然と子ども達に癒され、回復していきます。

生きていれば様々なことがありますが、塞いでもまた前を向けるきっかけは必ずあって、それは意外と近くにあるものかもしれない。

日々の生活の中で、忘れかけていたものを思い出させてくれるような、そんな感覚を味わいました。

『秘密の花園』は児童文学とされていますが、大人が読んでこそ響く作品だと思います。

以上、『秘密の花園』のあらすじ、解説、感想でした。

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mizue

文学部・古典専攻でしたが、趣味として読む小説は近現代が好きです。海外小説や児童文学なども漁っておりますが、好みとしては『読後に余韻が残るもの』だろうと最近思っています。ライターとしては「丁寧に、読みやすく」を目指していきたいです。