『老人と海』の紹介
1936年、エスクァイア誌に「老人と海」の元となった実話を含むエッセイ『青い海で』を掲載。
1952年、アメリカの全国誌「ライフ」に『老人と海』が一挙掲載されると、二日間で500万部以上が売り切れ大評判になりました。
ヘミングウエイはこの作品で1954年にノーベル文学賞を受賞。以下『老人と海』の解説&レビューです。
『老人と海』概要
主人公1 | 老いた漁師、サンチアゴ |
主人公2 | 海、メキシコ湾流、母なる海「ラ、マール」 |
対戦相手 | 大物カジキマグロ |
対戦相手2 | 帰路執拗に襲い来るサメ |
脇役1 | 漁師を慕い、船を離れても老人の世話をする少年、マノーリン |
脇役2 | メジャーリーグ野球、ジョーデマジオ他 |
作者 | ヘミングウエイ |
『老人と海』解説
作者・ヘミングウェイの略歴
作者ヘミングウエイは1899年、父外科医、母声楽家の長男として生まれ、子供の頃から狩猟や釣り等アウトドア、ライフに親しんでいます。
高校時代はフットボールの他学校新聞への投稿も開始し、以降第一次、二次世界大戦、スペイン内戦に従軍、報道取材をしています。
戦場での負傷や交通事故、航空機事故に会うことも多く、それが鬱や不眠症の原因になったとも言われます。
行動的で恋多き人物であり、4回の結婚をしています。「困難に直面してもたじろがない」が彼の信条であり、恋と行動力が執筆も含めた彼の力の源であったようです。
取材や、事故、負傷等の経験を基に『武器よさらば』や『誰がために鐘は鳴る』等の作品を発表しています。
ヘミングウエイが初の作品集『三つの短編と十の詩』を刊行したのが1924年、彼が25歳の時です。
以降戦争への従軍、報道取材等行動的で熱烈な恋多き彼の信条は前述の通り「困難に直面してもたじろがない」であり、その通りの人生であったようにも見えるのですが、4人の妻があるということは3人の妻との別れもあります。
交通事故や飛行機事故、戦場での負傷等は確実に彼の心身を蝕み、後の自殺という悲劇の原因にもなっているようです。
この作品の基になった作品、『青い海で』の発表から16年後の1952年、ヘミングウエイ53歳の時に『老人と海』が完成、発売されました。
ヘミングウエイが新しい恋人に夢中のため離婚を考えていた当時の妻が原稿を読み、「許す」と言ったというエピソードが残っています。
ヘミングウエイは、一般的には内面描写を排して外面描写に徹した「ハードボイルド作家」と評価されることが多いようです。
大自然を描く『老人と海』のテーマ
ただこの『老人と海』はその様な傾向はありません。釣り方にせよ魚とのやり取りにせよ、海の描写にせよ、サンチアゴの独白にせよグイグイと読者に迫ってきます。
話は非常にシンプルで、老いた漁師が不漁続きの中でも漁を続けていたら、大物カジキに出会い丸2日間一人で闘いやっと釣り上げた。
しかし帰路にサメに襲われて港へ着いた時は骨格のみ、という話です。
登場人物は老漁師の他、老人が「ラ、マール:母なる海」と慕う大自然である海、そこに住む生き物、大物カジキ、彼を慕う少年、メジャーリーグ野球とその英雄、ジョー、デイマジオ他、そして帰路に襲ってくるサメです。
この作品が発売から2日で500万部が完売ということは、とてつもなくインパクトがあったのでしょう。
この作品に寄せられた評価の中で多いのは、サンチアゴの姿にキリストの受難を連想する見方のようです。
その他、自らの力を過信する傲慢さを戒めた、ギリシア神話のイカロスの悲劇を思い起こす人もあるようです。
私は、読者が専門家の評価を気にせず、この本から素直に老漁師サンチアゴの凄さや、雄大で不変であろう大自然を感ずればよいのだと思います。
この小説の舞台キューバは当時アメリカ寄りの政権であり、裕福なアメリカ人にとっては格好の休息地でした。
キューバでもラジオの野球放送は聴けたでしょうから、貧乏とは言え漁師がヤンキースやジョー、ディマジオのファンであることはよくある事でしょう。
日本でもジョー、ディマジオと言えばあのマリリンモンローと結婚した人、いまだに破られていない56試合連続安打の大リーグ記録の持ち主として知られています。
父はイタリア移民の漁師であり、彼は長男ですが兄弟もメジャーリーグに在籍していたようです。
老漁師は、アフリカ出身だが今はキューバで漁師をしている、妻は死んだ、大物釣りには相方が必要だが「釣れない男」には相方はいなくなった。
小舟も帆もボロボロで貧乏であるが眼の光だけは死んでいない、今日も海に漕ぎ出す、海と対話し野球を楽しむ、大物が釣れれば全力で闘い、獲物がサメに襲われればまた全力で闘い結果を受け入れる、そんな風にして人は生き、海や魚もサメも生きてゆく。大海原も大空も同様だ、そんな気にさせられます。
「老人と海」の感想
私が初めてヘミングウエイと出会ったのは学生時代ですから、もう半世紀も前の事、1960年代の後半です。
この頃どういう訳かゴーギャンの絵にも惹かれ、京都で開かれていた「ゴーギャン展」に1月の小遣い全てをはたいて見に行った覚えがあります。
絵もさることながら入場してすぐに彼の有名な言葉「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」があり、その言葉にシヨックを受けました。
最近オルセー美術館で半世紀ぶりにじっくりと観察する機会がありましたが、十代の頃程には興奮しませんでした。
半世紀もすると少しは知識も増え、フランスは北欧の国で12月は夜明けが8時過ぎ、日暮れが5時過ぎで夜が長く日本と比べれば陰鬱な国、大陸の国で隣国やロシアと戦争を繰り返しアフリカやアジアを植民地にして、戦後労働力不足になれば旧植民地国からの移民を受け入れる。
黒人人口が約1割ですが、職業に貴賎は無いとは言え清掃の人が多い、また美術館は過去の略奪品が満載でした。
島国で水も安全も確保されている日本は特別な国のようであり、文学も含めて歴史、世界、文化等を知らなければ本当の理解は難しいと感じました。
話を戻します。学生時代に読んだヘミングウエイの本は『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『キリマンジャロの雪』と、この『老人と海』です。
当時は乱読でしたから読後の感想、感激は覚えていません。文字を読んで「そういう事があったのか」という感想だけでした。
ただ、この『老人と海』は文字を読んだという感想でなく、読後に大自然たる海の様子,漁の模様、サメの襲撃等が立体的な映像として感じられた覚えがあります。
私も最近まで土佐湾沖で海釣りをしていました。
秋、冬にはこの老人と海に出て来る大物の餌位の魚からもう少し大物、キハダマグロの20kg程度、環八の10kg程度までの物が相手でした。
釣り方は基本的に同じはずで、餌となる鯵や鰯、鯖等をかけて水深50m~100mで狙います。
今はナイロンテグスに電動リール、竿も柔軟性のある高級で高価な物ですから魚に負けることはありません。
ただ少し前までは、電動ではなく、手巻き、竿は硬すぎる物が主流でしたから大物にはかないませんでした。
50mの深さからでも5kgオーバーの魚ならあげるのに30分はかかっていたと思います。
サンチアゴの獲物は体長5.4m、重量675kgとされていますので、人力で、複数ではなく単独で釣るのは無理、無謀です。
それを一人で帆を操り、獲物とやり取りし(引き込まれれば緩め浮いてくれば巻き上げる)、他の仕掛けに魚が来たら困るので合間に切断する、自分の体力確保のために魚を釣り捌き、食べる、そんな考えられないような力を発揮し,そのかいあって獲物をしとめるのですが,大物過ぎて船の中に収納できず、帰路にしつこいサメの襲撃に会い骨格のみになりました。
釣りの様子や獲物との闘いの細かい描写、サンチアゴの独白等から、母なる海やマリア様への祈り等しっかりと伝わってきます。
日本でも漁業関係者の家や船には必ず神棚があります。それだけ大自然の前には謙虚であるのでしょう。
人類はわずかに数百万年の歴史ですが、火を手に入れ文字を手に入れ、集団で行動することで今の繫栄があります。
それでも火を採取する、獲物をしとめる、その第一歩を踏み出す人の勇気は何より大切であったはずです。
この地球上では、それぞれの生き物が、人間から大海原の小魚迄懸命に生きています。
漁師は魚を釣り、サメはそれを横取りする、ひいき球団の試合結果に一喜一憂し、大漁に喜びの酒を飲み不漁に嘆きの酒を飲む、母なる海、大自然に感謝しそして明日の朝も漁師は沖へ出発する。今日も海は、空は、大自然は悠々と存在する、そんな気持ちにさせられます。
この本を読み直して思い出したのがブラウニングの有名な詩です。
「時は春。日は朝。時は七時。片岡に露みちて、揚げ雲雀なのりいで、蝸牛枝にはい、神空にしろしめす。すべてこの世はこともなし」
もちろん海は、特に荒れた海はこのような長閑な様子ではありません。しかし海でも陸でものどかな時もあれば、嵐の時もあります。
人間はそんな中、知恵を出し、汗をかき、仲間と協力して生きてきました。大自然はそんな人間や他の生き物を悠々と包んでいるように感じられます。
残念ながら作者のヘミングウエイは、無理がたたって自死するという残念な結果になりましたが、彼の懸命な生きざまの結晶『老人と海』を残してくれました。
何度読んでも人間の凄さ、大自然の奥深さを感じます。じっくりと読ませてもらいましょう。