落語『火焔太鼓』あらすじ&解説!見どころから女房の秀逸な小言・毒舌まで

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落語『火焔太鼓』あらすじ&解説!見どころから女房の秀逸な小言・毒舌まで

『火焔太鼓』の紹介

『火焔太鼓』は古典落語の名作の一つ。

ストーリーが解りやすく、軽妙なテンポ、ギャグ満載で大いに笑えます。

明治時代の末期、初代三遊亭遊三が高座にかけた元々あった噺を脇で聞いていた五代目古今亭志ん生は、この噺に沢山のくすぐり(笑わせる部分)を入れるなど大幅に改作しました。これが現在も演じられている「火焔太鼓」です。

火焔太鼓は、舞楽(雅楽)の演奏に使う一対の扁平の大太鼓で、火焔を型取った飾りの透かし彫りが施されています。

雅楽用は大きいものですが、神社、仏閣で使うのは一個で小型です。

ここでは、『火焔太鼓』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『火焔太鼓』ーあらすじ

道具屋の主人・甚兵衛は、ボーッとした人のいい呑気な親爺で、世の中なんとか生きていけりゃあいい、品物なんぞは売れても売れなくてもかまわないと思っている。

もともと商売っ気のない男で、小野小町の腰巻、岩見重太郎のワラジといったお金にならないガラクタのようなものばかり仕入れていた。

しっかり者の女房は、甚兵衛のこのような商売下手にはあきれるばかり。

甚兵衛、今日は市で売れ残りの薄汚れた太鼓を一分で買ってきた。

太鼓を見た女房の小言が始まる。「何だい、ひどく汚れてるねえ。煤(すす)の固まりみたいじゃないか。こんなもの、一文でも売れやしないよ。」

これには、さすがに甚兵衛、反論する。「この太鼓は売れるし、売ってみせる。てめえは黙ってりゃあいいんだよ。」

しかし、口喧嘩ではいつも負けてしまう甚兵衛。女房との言い争いをやめて、小僧の定吉に太鼓を掃除させることにした。

ところが、定吉が太鼓の周りの飾りにたまったホコリを払っていると、払うだけで音がしてきた。

皮のところを叩いていないのに、太鼓のい~い音色が出ている。定吉が不思議がった。「こりゃあ、おもしれえ太鼓だなあ。」

すると、お侍がやってきた。「先ほど、わが殿がお駕籠でご通行の際、太鼓の音が聞こえた。太鼓を叩いていたのはそのほうの家であるな。殿がその音をお駕籠の中でお聴きになっておられて、どのような太鼓であるか見たいとの仰せである。ことによると、お買い上げになるやもしれんぞ。その太鼓を殿の屋敷まで持参いたせ。」

さあ、甚兵衛は大喜びだ。

ところが、女房は冷静沈着。「お殿様は太鼓の実物を見ていないから、薄汚い太鼓だとわかったら買わないわよ。でもねえ、もしお買い上げになったとしても、あんたは商売下手なんだから、儲けようとは思わずに元値の一分で売りなさい。」

甚兵衛が風呂敷に包んだ太鼓を背負って殿様のお屋敷に行くと、待っていた家来がすぐに太鼓を受け取って殿様に渡してくれた。

なんと、お殿様はその太鼓を買い上げたいとのこと。

甚兵衛は、驚き!おののき!頭がクラクラしてきた。そんな状態で、殿の家来と太鼓の値段について交渉することになった。

家来から太鼓の売り値を申せ、かまわんから手いっぱい申してみろ、と問われた甚兵衛、家来に言われた通りに両手をいっぱいに広げた。

値段を口ではっきり申せと家来から問い詰められた甚兵衛は、十本の指を見ながら「十万両!」と叫んだ。

それじゃあ高すぎるということで、家来は「三百両でどうじゃ?」と申し出た。

甚兵衛は三百両がどれほどの価値なのか全く解っていなかったが、まあいいか!と、家来の申し出に合意した。

殿様がおっしゃるには、この太鼓、「火焔太鼓」といって世にも珍しい国宝級の銘器だという。

甚兵衛の前に、小判が五十枚重なった五十両ずつ、六つのお金の山が築かれた。全部で三百両になる。

甚兵衛はこの大金を懐に収め、まるで夢を見たようにボーッとしながら家までたどり着いた。

太鼓が三百両で売れたと甚兵衛が言っても、女房は全く信用しなかった。

それでは現物を見せよう、驚いて腰抜かすなよ!と言い放って、甚兵衛、五十両ずつ小判の山を増やしていき、女房に見せつけた。

女房はほとんど腰を抜かしっぱなしで、ようやく柱につかまりながら、手のひらを返したように、甚兵衛を褒めたたえた。「おまえさん、本当に商売がうまいねえ。」

すると、甚兵衛は「これからは音のするものがいいね。じゃあ、半鐘を買ってこよう。」と言った。

すかさず女房がサゲた。「お前さん、半鐘はいけないよ。オジャンになる。」

『火焔太鼓』ー概要

主人公 道具屋の甚兵衛
重要人物 甚兵衛の女房、殿様の家来
主な舞台 江戸時代
ストーリー 甚兵衛が一分金で買い求めたホコリだらけの汚い火焔太鼓。たまたま近くをお駕籠でご通行中のお殿様が、この太鼓の音色に興味を示された。後日、お殿様に実物を見ていただいたところ、火焔太鼓をお買い上げいただけることになった。火焔太鼓の代金として三百両もの大金を手に入れた甚兵衛とその女房、あまりの驚きに、腰を抜かしたり、柱につかまったりと大変なことになってしまった。
出典 「落語の名作100」(日本文芸社)

『火焔太鼓』―解説(考察)

『火焔太鼓』の面白さ

・甚兵衛の商売下手が笑いのネタの一つ

甚兵衛は生粋の商売下手。その下手さといったら、売らなければならないものを売らず、売っては困るものを売ってしまうという始末。

小野小町の腰巻、平清盛の尿瓶、岩見重太郎の草鞋など、沢山売れそうにないものを店に並べています。

また、甚兵衛の家で使っていた火鉢は本来売らなくていいものですが、向かいの旦那が遊びに来た時に奥の火鉢を見て「甚兵衛さん、この火鉢は面白い火鉢だな」と言われたので売ってしまいました。

・会話の中に沢山のギャグがある

特に、口達者の女房が夫の甚兵衛に対して放つ小言や毒舌が秀逸です。

  • お前さんは「世の中ついでに生きてる人」なんだね。
  • あんたが損ばかりしているから、こっちはもう食べるもんだって控えちゃってるんだ。おかげで、胃がすっかり丈夫になっちゃったよ。
  • この薄汚い太鼓、はたいちゃいけないよ。ホコリはたいたら、太鼓がなくなっちゃうから。

『火焔太鼓』の見どころ

・道具屋の夫婦が大金を手に入れた時の反応

この噺は、貧乏な道具屋の甚兵衛と女房が特に努力をしたわけでもないのに思いがけず大金を手にしてしまうという、庶民にとっては夢のような成功物語です。

今でいえば宝くじに当たったようなものでしょう。

たまたま仕入れたホコリだらけの汚い太鼓がものすごく貴重な国宝級の火焔太鼓だったことが判り、お殿様にお買い上げいただいた。

殿様のお屋敷で、その代金として三百両(おおよそ現在の三千万円に相当)を小判の山として目の前に積まれた道具屋の主人・甚兵衛は、もう失神寸前。

甚兵衛は家に帰って女房にこのお金を渡しますが、三百両を見せられて女房も卒倒しそうになりました。

甚兵衛、女房が大金を目の前にした時の反応(水をくれと言ったり、腰抜かしたり、柱につかまったり、叫んだり・・・)がとてもリアルで、思わず大笑いしてしまいます。

・「火焔太鼓」売買の交渉

殿様の家来は、「売り値はその方から申し出よ。遠慮なしに手一杯に申してみよ。」と甚兵衛に問いかけました。

この言葉で、はからずも甚兵衛の運気が上がることになります。

甚兵衛は、ご家来に言われた通り、両手を手いっぱいに広げたのです。

広げた両手の指を数えた甚兵衛は、「こりゃ、十万両なんだ」と勝手に解釈して、思わず「十万両!」と叫んでいました。

かくして、家来と甚兵衛の値段交渉は異常な高値十万両から始まり三百両で決着。

甚兵衛は、労せずして三百両もの大金を手に入れてしまいました。

『火焔太鼓』の小ネタ・現代では理解しにくい点

・ピンからキリまで、江戸の道具屋

道具屋といっても色々な種類があり、高級な書画骨董を売買する店から中古品やガラクタを集めて売っている店まで、どれも道具屋と呼ばれていました。

甚兵衛が熱心に仕入れていたのは、使い古した生活道具や珍しいガラクタの類です。

・江戸時代の貨幣単位とその価値

落語「火焔太鼓」に出てくる貨幣単位は、両(りょう)、分(ぶ)、文(もん)の三つです。

おおよそ一両 =四分 = 四千文の関係がありました。

現在の貨幣価値に換算すると、一両は約十万円、一分は約二万五千円、一文は約二十五円となります。

( ただし、上記の換算値は江戸時代初期頃の目安です。江戸時代は時期によっては貨幣価値がかなり変動していました。)

『火焔太鼓』ー感想

・異質なものを対比することで、噺の面白さが際立っている

大名屋敷と町人の住居とでは天と地ほどの差があります。

火焔太鼓をお殿様に見てもらうため大名屋敷に伺った甚兵衛は、お屋敷が広くてきらびやかなのに目を丸くして見入ってしまいます。

そこは、甚兵衛が住んでいた狭くて雑然とした家の中とはまったく違う別世界でした。

広大なお屋敷にたまげて、ウロウロ、キョロキョロする甚兵衛の姿が目に浮かびます。

また、道具屋夫婦間での価値観の違いがストーリーを盛り上げています。

稼げないダメ男の甚兵衛は、口達者でしっかり者の女房としばしば話しがかみ合っていません。

甚兵衛は儲からなくても好きな品物を仕入れるのに喜びを感じています。

一方、女房は甚兵衛の商売下手を何とかするのが使命と思っています。

このような価値観の違いから、女房が夫に小言を言うことが多いのですが、夫の甚兵衛は女房の小言を適当にあしらっています。

・“ついでに生きている”という意味深長な台詞に惹かれる

古今亭志ん朝師匠は口演で、道具屋の主のことを「もう世の中ついでに生きているというような、ごく呑気な親爺で・・・」と言っています。

生きるのがついでならば、ついでじゃない生きるよりももっと大切なものがあるってことなのかな?と、思いを巡らせてしまいました。

以上、『火焔太鼓』のあらすじ・解説・感想でした。

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藤太郎

落語鑑賞歴は20年以上。人生の奥深さがギュッと詰まっている落語の世界にハマりました。落語の特に好きなジャンルは滑稽噺、夫婦噺。ライターとしては、読者にわかりすくお伝えすることを先ず心がけています。落語に近い話芸の講談についても、趣味でネタ集め・台本作り・発表の活動を展開中。もともとは理系人間で、無線通信やIT関係の仕事に長年従事してきました。今は進化が著しいAIの技術・応用に関心を寄せています。