『夢十夜』(第五夜)の紹介
『夢十夜』は夏目漱石著の短編小説で、明治41年から朝日新聞で連載されました。
第一夜から第十夜までの十篇から成る短編作品です。
第一夜から第十夜までの時代背景は様々ですが、第五夜は神代に近い昔の話であり、十篇の中で時代設定が最も古い夢の話です。
ここでは、『夢十夜』第五夜のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『夢十夜』(第五夜)ーあらすじ
こんな夢を見た。
神代に近い昔、自分が戦をして敗北した為、生捕になって、敵の大将の前に引き据えられた。
敵の大将は篝火で自分の顔を見て、死ぬか生きるかと聞いた。
このように聞くのはその頃の習慣で、生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うと屈服しないと云う事になる。
自分は一言死ぬと答えた。
大将が剣をするりと抜き掛けたのを止めて、自分は死ぬ前に一目思う女に逢いたいと云った。
大将は夜が明けて鶏が鳴くまでなら待つと云った。
夜は段々更けて、誰かが篝りを継ぎ足したので、遠くの空が薄明るく見える。
女を乗せた馬は、この篝をめがけて闇の中を飛んで来る。
馬は蹄の音が宙で鳴る程早く飛んで来る。
それでもまだ篝のある所まで来られない。
すると真闇な道の傍で、こけこっこうと云う鶏の声がした。
女は両手に握った手綱をうんと控えた。
馬は前足の蹄を堅い岩の上に発止と刻み込んだ。
こけこっこうと鶏がまた一声鳴いた。
女が手綱を一度に緩めると、馬は諸膝を折り、乗った人と共に前へのめった。
岩の下は深い淵であった。
鶏の鳴く真似をしたものは天探女(あまのじゃく)である。
蹄の跡の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵である。
『夢十夜』(第五夜)ー概要
主人公 | 自分 |
重要人物 | 女・天探女 |
主な舞台 | 敵の陣地内 |
時代背景 | 神代に使い昔 |
作者 | 夏目漱石 |
『夢十夜』(第五夜)―解説(考察)
・天探女とは
第五夜では、「自分」と女の再会は、天探女によって永遠に妨げられてしまいます。
そもそも「天探女」とはどういった存在か?
天探女(あまのさぐめ)とは、日本神話に登場する女神です。
『古事記』では、天若日子という神の話に天探女が登場します。
中つ国の平定を命じられ、その天命に背いた天若日子に対して、高天原から雉の鳴女が遣わされます。
鳴女は「なぜ命令を果たさないのか」と天照大御神の言葉を伝えますが、天探女は「この鳥の鳴き声は不吉だから射殺した方がよい」と天若日子に進言し、天若日子は鳴女を射殺します。
そして、鳴女を射殺した矢は、高天原の神によって投げ返され、天若日子の胸を貫きます。
なんとも不吉な役どころです。
また、この天探女が語義となったといわれる妖怪天邪鬼について、地域によっては、天邪鬼が鶏の鳴き真似をして橋の工事を妨げたなどの伝承が残されています。
第五夜で登場する「あまのじゃく」が、日本神話にみる天探女そのものか、妖怪天邪鬼かはわかりません。
いずれにしろ、その一声で、物事の邪魔をしたり妨害をして、話の流れを悪い方向に転換させる存在であるということは、多くの神話や伝承と、第五夜で一致しています。
また、伝承と関連しての余談ですが、第五夜では馬の蹄の痕が残る岩が描写されています。
第五夜の話の内容とは無関係ですが、馬蹄岩の伝承は全国各地に残っています。
第五夜の時代背景は「神代に近い昔」であり、あまのじゃくや馬蹄岩など、神話や伝承を想起させるモチーフの登場で、より神話的な印象を強めていると言えるでしょう。
・第一夜との関係性
『夢十夜』第五夜は、第一夜と特に関係が深い作品です。
例えば、第五夜、第一夜の共通点として、以下の点が挙げられます。
- 「自分」が女を待つ話である
- 「自分」と女は愛の関係にある
- 「自分」と女は今世では再会できない運命にある
①について、第五夜では敵に生け捕りにされた「自分」が、殺される前に女に一目逢おうとして女の到着を待ちます。
そして第一夜では、死んだ女が百年経って再び逢いに来るのを待ちます。
状況は異なりますが、どちらも女との再会を待つ話です。
②について、第五夜では「自分」と女が恋愛の関係にあったということは明記されています。
そして、第一夜では「自分」と女の関係生は明記されないものの、モチーフの考察等から、愛の話であるということが分かります。
「自分」と女という二人の登場人物がおり、且つ二人の愛の話というのは、『夢十夜』十篇の中で、第一夜と第五夜の2作品だけです。
③について、第五夜では女は岩の下の淵に落ちて死んでしまいます。
女が淵に落ちたその後については書かれていませんが、鶏が鳴いて自分も殺されたであろうと推測されます。
したがって、第五夜では女も「自分」も死んでしまいますから、今世での再会は不可能という悲哀の結末と考えられます。
そして、第一夜で「自分」と女が再会できたのかという問題について、答えがはっきりしないというのは第一夜解説で触れました。
しかし、女が百合の花に生まれ変わって再会できたと解釈する場合であっても、それはあくまで生まれ変わった後の話であるため、今世では「自分」と女は再会できていないと言えるでしょう。
時代背景や状況は大きく異なっていますが、第五夜は、見方によっては第一夜を焼き直したような作品であると見ることができるでしょう。
・他の夢との共通点
『夢十夜』の10の夢では、いくつかの話に渡って共通する描写があります。
それは以下のとおりです。
- 〈生と死〉に関する表現
- 夜の闇
- 印象的な色彩表現:赤色
第五夜では、「自分」は捕虜として敵の大将に捕らえられており、鶏が鳴くと「自分」は殺されてしまいます。
また、「自分」が待っていた女も岩の下の淵に落ちて死んでしまいます。
直接的に〈生と死〉が描かれた作品であると言うことができます。
そして、第五夜の時間軸は夜です。
神代に近い昔、しかも戦場ということであれば、現代と違って夜の闇は一層暗いものでしょう。
その真っ暗な夜の闇の中で唯一、篝火の赤い炎が揺らめいています。
非常に印象深い情景であり、第一夜から考察を進めてきた赤という色彩がダイレクトに表現された作品だと感じられます。
『夢十夜』(第五夜)ー感想
・第一夜~第五夜で描かれたもの
『夢十夜』第五夜が、第一夜の焼き直しのようなものであるとは解説の中で触れました。
では、なぜ作者漱石は第五夜で第一夜を重ねるストーリーを描いたのか。
これは、第一夜から第五夜までが一つの大きなまとまりとして区切られるという、作者のメッセージではないだろうかと私は思います。
それがどのようなまとまりであるかは、第一夜から見てきた〈生と死〉の描写にヒントがあると考えます。
第一夜は、女の死と再生に関する夢の話です。
第二夜は、生きるか死ぬかという境地に追い込まれた侍が、悟りを開こうとする夢の話です。
第三夜は、百年前に起きた殺人と、その加害者・被害者の生まれ変わりの夢の話です。
第四夜は、人生そのものの例えであり、生まれてから死ぬまでを連想させる夢の話です。
第五夜は、もう間もなく死を迎える男が、生きている内に女と会おうとして、結局二人とも死んでしまう夢の話です。
各話単体で見れば、それぞれに主題はあるように思われますが、話の根底には〈生と死〉という根源的なテーマが流れています。
第一夜から第五夜に共通して見られた赤色の描写も、血の色=命を象徴するカラーであり、〈生と死〉を強調する働きをしているように感じます。
『夢十夜』の第一夜から第五夜は、生と死、あるいは命を大きなテーマとして描かれた作品群なのではないかと思われるのです。
第五夜は壮大な神話的世界を読み手に想像させるだけではなく、『夢十夜』という作品の中で、一つのテーマを締めくくる重要な位置を担う作品だと感じます。
以上、『夢十夜』第五夜のあらすじと考察と感想でした。