『夢十夜』(第四夜)の紹介
『夢十夜』は夏目漱石著の短編小説で、明治41年から朝日新聞で連載されました。
第一夜から第十夜までの十篇から成る短編作品です。
第四夜では「自分」は子供の姿をとっており、不思議な爺さんを目の当たりにします。
ここでは、そんな『夢十夜』第四夜のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『夢十夜』(第四夜)ーあらすじ
広い土間の真中に涼み台の様なものを据えて、周囲に小さい床几が並べてある。
片隅には爺さんが一人で酒を飲んでいる。
この爺さんは何歳だろうと思っていると、裏の筧から来た神さんが「御爺さんはいくつかね」と聞くが、爺さんは「忘れたよ」と云う。
神さんが爺さんに家は何処か聞くと、爺さんは「臍の奥だよ」と云う。
「どこへ行くかね」と又聞くと、「あっちへ行くよ」と云った。
「真直かい」と神さんが聞いた時、ふうと吹いた息が、柳の下を抜けて、河原の方へ真直行った。
爺さんが表へ出て、自分も後から出た。
爺さんは、柳の下まで来ると、腰から浅黄の手拭を出して細長くよって置いた。
爺さんは、「今にその手拭が蛇になる」と云ったが、手拭は一向に動かない。
爺さんは手拭を肩に掛けた箱の中に放り込んで、「箱の中で蛇になる」と云いながら真直に歩き出す。
「今になる、蛇になる」と唄いながら、爺さんは河の岸に出て、河の中へ這入り出した。
「深くなる、夜になる、真直になる」と唄いながら真直に歩く爺さんは見えなくなってしまった。
自分は爺さんが向岸へ上がった時に、蛇を見せるだろうと、何時までも待っていたが、爺さんはとうとう上がって来なかった。
『夢十夜』(第四夜)ー概要
主人公 | 自分(子供) |
重要人物 | 爺さん |
主な舞台 | 不明 |
時代背景 | 不明 |
作者 | 夏目漱石 |
『夢十夜』(第四夜)―解説(考察)
・爺さんの正体
第四夜では、不思議な爺さんが登場します。
この爺さんの正体をまとめると、
であると考えます。
この理由として、以下の2つの点が挙げられます。
- ①爺さんは「臍の奥」からやって来て、「河原」の方へ真直ぐ向かっている。
- ②爺さんは蛇と強い関係にある。
それぞれ、詳しく考えていきたいと思います。
①爺さんの〈来た場所〉と〈行く場所〉
神さんに家の場所を問われた爺さんは、「臍の奥」だと答えています。
臍の奥とは、腹の中=子宮と考えることができます。
つまり、命が生まれる場所を指していると解釈できます。
そして、爺さんは「あっちへ行くよ」と言って、真直ぐに河原の方へ歩いていきます。
例えば仏教の考え方にある三途の川のように、世界中の多くの宗教や神話で、川はこの世とあの世を隔てるものという概念があります。
臍の奥から生まれ、真直ぐに河原へと進んでいく爺さんの姿は、生まれてから死ぬまで=人生そのものの比喩になっているように思われます。
②爺さんと蛇の関係性
爺さんは、取り出した手拭を「蛇になる」と言い続けて川の中へと姿を消してしまいます。
全く意味不明な発言のようですが、ここで注目すべき点は、わざわざ蛇という生き物を挙げていることです。
手拭を細長くして、ウナギでもアナゴでもなく、蛇だと限定してあるからには、そこに何かしらの理由があると考えるべきでしょう。
また、その言動だけでなく、爺さん自身を蛇と重ねているように見える描写が作中に見られます。
爺さんは酒の加減で中々赤くなっている。
その上顔中沢々して皺と云う程のものはない。夏目漱石『文鳥・夢十夜』(夢十夜),新潮文庫,41頁
浅黄の股引を穿いて、浅黄の袖無しを着ている。
足袋だけが黄色い。
何だか皮で作った足袋の様に見えた。夏目漱石『文鳥・夢十夜』(夢十夜),新潮文庫,42頁
爺さんは年寄りに見えるのにも関わらず、人間のような皺がありません。
また、爺さんは浅黄色の衣服を身につけていて、皮で作ったように見える足袋を履いています。
布製であるはずの足袋が皮に見えるのは不思議で、この表現からは蛇皮を連想できます。
そして例として、一部地域で神の使いとも言われるアルビノのアオダイショウなどは、爺さんが身にまとう衣服のように、薄い黄色の表皮をしています。
手拭を蛇にしようとしただけではなく、爺さん自身を蛇と同一視できるような表現があることで、爺さんと蛇の関係性は明示されていると言えるでしょう。
では、何故、爺さんと蛇の関係性が、爺さん=〈生と死が顕現したもの〉と判断する理由になり得るのか。
これについては、蛇が何を象徴しているのかを考えることで導き出されます。
蛇の象徴について、次で考察していきます。
・蛇は何を象徴するか
第四夜において蛇は、
を意味しているものだと考えられます。
蛇は、脱皮を繰り返す様から、古来より死と再生の象徴として捉えられ、多くの神話に登場しています。
日本でも、蛇の神秘性は認めるところであり、特に白蛇は、地域によっては神の使いとして信仰されています。
逆に、蛇に負のイメージを重ねる考え方もあります。
例えば仏教では、蛇は人間の諸悪・苦しみの根源の一つとされる愼(強い恨みや、憎しみ)の象徴として考えられています。
漱石著の『永日小品』では、「蛇」と題された作品中で蛇が登場しますが、ここでの蛇には、どちらかというと、このような負のイメージが感じられます。
※『永日小品』「蛇」
『永日小品』とは明治42年から朝日新聞にて連載された24扁の短編作品です。
「蛇」では、水に流される魚を掬おうとして網をかけていた叔父が、鰻と間違えて蛇を土手の上に跳ね飛ばしてしまいます。
すると蛇は、鎌首を持ち上げて「覚えていろ」と叔父さんの声で言って、草の中に消えていきます。
『永日小品』の蛇だけをもって、漱石が抱く蛇のイメージを結論づけるのは早計だと思われますが、少なくとも漱石もまた、蛇という生き物に対して、単なる爬虫類という生物の枠組みを超えた特別な意味を見出していたと推測できるでしょう。
また、第四話の冒頭では「神さん」という人物が登場します。
状況から、店のおかみさんを指しているようですが、「女将さん」とは表記されていません。
あえて神という字を使用していることからも、爺さん=蛇=生と死を象徴する神的存在という繋がりを示しているように思われます。
・他の夢との共通点
『夢十夜』の10の夢では、いくつかの話に渡って共通する描写があります。
それは以下のとおりです。
- 〈生と死〉に関する表現
- 夜の闇
- 印象的な色彩表現:赤色
第四夜では、直接的な〈生と死〉の描写はありません。
しかし前述したように、爺さんを人生そのもの、あるいは生と死を表すものと見るならば、爺さんを通して第四夜の中の〈生と死〉を読み取ることができます。
続いて、第四夜の時間軸は昼間ですので、夜の闇を作中からそのまま読み取ることはできません。
ですが、爺さんが河の中へざぶざぶと這入り、向岸に上がってくるのを、「自分」は「たった一人何時までも待っていた」という記述がありますから、だんだんと夜が近づき、辺りが暗く闇に染まっていく様子を読者は想像することができます。
また、赤色に関しては、酒に酔った爺さんの顔が「中々赤くなっている」という表現があるのみで、第一話・第二夜・第三夜のように、鮮明な色のアイテムとしては登場しません。
ただし、前述した白蛇——例えばアルビノのアオダイショウですが、この虹彩は〈赤〉です。
第四夜は、第一夜~第三夜とは違って、3つの描写は作中ではっきりと確認できませんが、読者の想像の中にそれらを補完することができるのです。
『夢十夜』(第四夜)―感想
・第三夜との対比構造と主題について
第四夜は、前の第三夜と対比して作られているように感じます。
第三夜 | 第四夜 | |
語り手 | 親(大人) | 子供 |
観察対象 | 子供 | 爺さん(大人) |
時間 | 晩 | 日中 |
進路 | 路が不規則にうなって中々思う様に出られない | 路を真直に行く |
この対比構造を抑えておくか否かで、本筋の理解に与える影響はありません。
しかし、『夢十夜』が、漱石が創作した夢がとりとめなく綴られた作品というよりは、作者の明確な意図をもって作られた、一つのまとまりある作品だと、ここからも感じとることができます。
また、個人的意見ですが、第四夜は、『夢十夜』の十篇の中でも、特に主題が分かりにくいランキング上位に入る作品だと思います。
飄々として捉えどころのない雰囲気を感じます。
私は、爺さんの正体の考察から、第四夜の主題は人生、生と死をダイレクトに表現したものだと考えますが、読み手によって解釈が大きく分かれる作品ではないかと思います。
一見すると意味不明な短編作品ながら、読者の想像力を駆り立てる面白さと不思議が詰まった夢の話です。
以上、『夢十夜』第四夜のあらすじと考察と感想でした。