『辰巳巷談』あらすじを紹介!三人の遊郭の女とは?

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『辰巳巷談』あらすじを紹介!三人の遊郭の女とは?

『辰巳巷談』の紹介

『辰巳巷談』は、明治32年(1899年)に雑誌『新小説』に発表された泉鏡花の短編小説です。

鏡花も所属していた硯友社の文化人たちが好んだという洲崎の遊郭にいた花魁の悲恋を描いた作品で、鏡花らしい情念に満ちた作品です。

鏡花は、洲崎を含む深川という土地全般に愛着を抱いており、ほかにも『婦系図』など、深川を舞台にした作品があります。

『辰巳巷談』─あらすじ

洲崎の遊郭にいた花魁・胡蝶は「親元身請」の形で、遊郭を出ました。

胡蝶ことお君には、遊郭で恋仲になった鼎という相手がおり、郭から出さえすれば好きに会うことができる、と新造のお重に説得されたのです。

お重は、深川の船乗り・宗平らに身請けのお金を出させて、お君を自由にしました。

そのお金の対価として、お君は出資者の男たちに身をまかせます。

お君は、小間物行商の沖津という女性の取り持ちで鼎と逢瀬を重ね、その時間だけを楽しみに他の男とも過ごしましたが、次第に逢わせてもらえなくなりました。

実は、鼎は沖津が洲崎にいたころに産んだ子どもだったのです。

他の男とも関係を持ちつづけなければならない花魁あがりのお君を、かわいい我が子の鼎に添わせるわけにはいかないと思った沖津は、二人の仲を割こうとしました。

鼎に逢えなくなったお君は、宗平に強く迫られて追い詰められたうえ、刺されてしまいます。

駆けつけた沖津は宗平から出刃包丁を受け取り、お君にとどめを刺して自らも自害して果てるのでした。

『辰巳巷談』─概要

主人公

お君(元花魁・胡蝶)

重要人物

お重、宗平、沖津

主な舞台

東京・深川

時代背景

明治時代後半(登場人物が「明治の太平な御代」を罵倒するという表現がある)

季節は残暑の残る秋のころ

作者

泉鏡花

『辰巳巷談』─解説(考察)

三者三様の遊郭の女

この物語には、三人の遊郭の女が出てきます。

主人公のお君(元花魁・胡蝶)、お君の新造(付き人)であったお重、若いころ遊郭にいた沖津の三人です。

同じ苦界にいた三人ですが、好きな相手と一緒にいたいと純粋に想いつづけるお君、お君を支えつつも金銭による利害関係にドライなお重、同じ境遇のお君を思いやりながらも母性が勝った沖津、というように、その考え方は大きく異なりました。

三人それぞれについて、詳しく見てみましょう。

自分の恋しか見えていなかった花魁、お君(胡蝶)

お君は、客として現れた鼎と本気の恋をしてしまいます。

花魁・胡蝶としてのお君は、十六歳で郭に入り「初手からおいらんじみないで座敷は寂しかつたさうだけれど、柔しくッて、容色が好くッて、小柄で、愛嬌があつて、其癖ぐうたらの上方ものでもない江戸ッ兒」だったから、客から可愛がられていたそうです。

それが母親が病気で寝込んでからは、「がらりとなまけてしまった」。

借金を返して母親のところへ戻り、普通に暮らしていこうと思っていたのが、家に戻っても看病に明け暮れ、治療費などがかかれば、また郭に逆戻りもあり得ると気づいて心の張りが緩んでしまったのでしょう。

鼎という恋人ができたため、彼の懐を痛めないよう、新造のお重の勧めに従い、自分を身請けして遊郭は出たものの、状況はお君が望むようには変わりませんでした。

自分のところへ通ってくる男たちに対する義理はあるが、自分の気分で相手にするしないを決めたらいい。

もう自由の身なのだから、お金のことも気にせず、好きなだけ恋人・鼎と逢うことができる、とお君は思っていたのです。

しかし、状況はそんなに甘くはありませんでした。

自分がお金を出してやったのだから、彼女が遊郭から出たら、その身は自分のものになる、と宗平たちは思っていましたし、仲立ちをしたお重もそういう条件で話をつけていました。

いっとき我慢をすれば鼎に逢える、という思いで宗平たちを相手にしていたお君は、鼎に逢わせてもらえないなら他の男にも逢いたくない、という思いを抱きました。

宗平は、お君が遊郭を出るための金のほとんどを算段し、自分が身請けしたようなものだと思っていましたが、お君にはそれが納得できなかったのです。

それどころか、自分を想って金を出してくれた宗平の気持ちに気づきさえしませんでした。

宗平が、自分と同じように誰か(お君)に恋をし、その人のためなら何でもしようという人間だとは思いもしなかったのでしょう。

そのため、宗平の気持ちなど考えず、「もうしばらく、しばらくですから、鼎さんに一度あへますまで、堪忍して助けて下さい」と懇願し、願いを聞いてくれたら何としてでも金を払う、とまで言いました。

薄々気づいていたこととはいえ、自分以外の男とのことを認めろ、金なら返すと言われてしまった宗平は逆上し、お君を刺してしまいます。

男と女が情を交わす遊郭に三年いたにしては、お君の感覚は純粋すぎたと言えるでしょう。

宗平は、お君のそうした純粋な部分が好きだったのかもしれませんが、その気持ちは伝わりませんでした。

自分の恋だけを見ていたお君は、そのために命を落とすことになってしまうのです。

自覚のないしたたかさを持つ新造、お重

お重は、お君こと胡蝶の新造をしていました。

「たとひ新造はして居ても十七の時添つた亭主はいまだに守つて居ります」という、新造の身分にしては珍しい立ち位置の女性です。

お君を可愛がっていたお重は、お君が恋人の鼎と逢いやすくなるよう、自分で自分を身請けするように勧めました。

お重に悪意はありません。

娘のように可愛がっていた花魁が抱える、好いた相手に自由に逢えないという悩みを解決する最良の手段として「親元身請」を提案したのです。

お重は、お君の純粋さを本当の意味で理解していなかったのでしょう。

そのため、鼎に逢われないなら宗平の相手はできないというお君の態度に、本気で困惑してしまいます。

お君は、現在の状況が洲崎に知られたら「身脱をして素人になったは可いが、そんな情ない目にあって居るのかと、朋輩衆の思はくが恥かしうございます」と口にするぐらいには、花魁あがりとしての矜恃を持っていました。

お重が、そんなお君に遊郭特有の考え方と割り切りを求めるのは当たり前のことです。

お重と同様の花魁らしいしたたかさをお君が持っていれば、宗平たちを金づると割り切り、懐柔していくこともできたでしょう。

お重は、そのしたたかさをお君に教える必要があることに気づきませんでした。

花魁だったお君が、それを備えていないはずはない、とお重は思ったのです。

花魁だったお君より、客を取らない新造だったお重のほうが遊郭の女の感覚を身につけていたのは、皮肉としか言いようがありません。

母性に目覚めた花魁、沖津

沖津は、宗平やその仲間たちに乱暴された鼎を助けたのが縁で、お君と鼎が逢い引きする手助けをすることにしました。

しかし、鼎のことを子どものように抱きしめたいと望んだとき、沖津は自分の中にあった母性に気づいてしまいました。

好きな相手に思うように逢うこともできない花魁の悲しさを知っているはずなのに、愛する子どもである鼎の立場や将来を取ったのです。

その結果、後輩であるお君の悲しさを誰よりも理解できたはずなのに、鼎とお君の仲を引き裂くような態度を取り、追い詰められたお君は宗平の手にかかってしまいました。

そのとき沖津は、自分が花魁であったこと、鼎の母として生きてはいけなかったのだと気づいたのでしょう。

「自分がお君の母親になる、鼎の母親にはお君の母親がなればいい」という沖津の言葉は、自分とお君が「花魁」という枠から出られない、お君の母親や鼎とは別の世界の人間だという宣言です。

沖津が自分の手でお君にとどめを刺したのは、男女関係のもつれで刺されたお君を花魁として死なせることで、鼎との縁を完全に断ち切るためです。

そして、同じ花魁として、お君に寄り添ってやれなかった悔恨のため、「止を刺すと返す刃先で」沖津は自分の命を断ちました。

お君という花魁あがりの恋人、自分という花魁あがりの母親、そのどちらもが鼎にとっては利にならない存在だというのが、沖津の考えでした。

お君とともに死んでいなくなることが鼎のため、だったのでしょう。

母性に眼が眩んだ結果、恋人と母を失った我が子がどれだけ嘆くかまでは考えが到らなかったことが、沖津の悲劇と言えるかもしれません。

『辰巳巷談』─感想

影の薄い恋人、鼎

物語の冒頭で、お君の恋人・鼎が登場します。

お君を訪ね、深川まで来た鼎ですが、「紺地の単衣を着た二十一二の、色の白い、細面の少年」というほかは、ほとんど描写がありません。

道を尋ねたりはしますが、さして特徴のある話し方でもなく、これといって印象に残る描写がないのです。

お重の家まで行った鼎はお君に逢うことなく、宗平の仲間に絡まれて、そのまま退場します。

沖津に助けられ、彼女の口から母性の対象として語られることはありますが、お君との逢瀬の描写もありません。

お君と逢えなくなって寂しがっているとか、お君に逢わせろと沖津を責めるとかいった描写もなく、恋人のことなど忘れてしまいました、というオチがつくのではないかと思えるほどの影の薄さです。

この小説に必要だったのは「お君の恋人という概念」であって、人格を持った登場人物としての「鼎」ではないのだろうな、と私は感じました。

お君は鼎に恋い焦がれていますが、実際に二人が逢っている場面の描写はないですし、回想シーンとして出てくることもなくて、実情がまるで判らないのです。

鼎の影が薄ければ薄いほど、宗平のお君に対する想いの強さが際立ちます。

また、沖津の母性が異常なほどにふくらんでも抵抗なく受け入れてくれる「子どもという概念」を表現することができます。

これは、お君の恋情についても同じことが言えます。

物狂おしいほどのお君の想いは、ともすれば鼎の足かせになったかもしれませんが、鼎本人の描写がないため、お君は疎ましがられることなく、鼎の恋人でいられるのです。

作者は、主人公の恋人という重要な位置にいる鼎を、あえて影薄く描写することで、他の登場人物が抱く想いの熱量を幾層倍にも見せたかったのではないでしょうか。

ただ、立ち位置的には、ヴィジュアルをふくめて描き込まれていてもおかしくない登場人物なので、この扱いは少し勿体ないかなという気もします。

美男美女の逢瀬は場面として映えるものですし、元花魁と恋人という関係は、鏡花ならではの描写が期待できるシチュエーションではないかと思うからです。

・鏡花ならではのこだわり─着物の柄や女性の仕草

先に書いた鼎については、そっけない描写しかありませんが、その他の登場人物について、鏡花は執拗なほど、その外見を書き記しています。

容貌はもちろんのこと、女性の着物の柄、着付け方などを細かく描写しているのです。

鏑木清方や小村雪岱といった日本画家に自著の装丁を託していた鏡花のことですから、女性の外見や立ち居振る舞いにも一家言あっただろうことは想像に難くありません。

お君や沖津は登場するとき、文庫本で4~5行分、ざっと200字以上を費やして描写されているほか、その後も仕草の一つ一つが細かく書かれています。

「蔦の葉を染め出した鼠地の浴衣で、博多の男帯をぐるぐる巻に腰に纏って、片端を乳の下に挟んだ」「白脛にからんだのは燃立つような緋縮緬」「小造のちつと肥つた、ぬけるほどの色の白い」といったお君の描写は、実に活き活きとしていて、肌やそこに映る着物の色合いが目に浮かぶようです。

沖津は鼎が宗平たちに絡まれている場面に登場しますが、「引上げた褄を落すと下前がかさなつてきりゝと揃ふ」と、しゃんとした立ち姿であることが判ります。

これに「背の高い女で、髪の毛一筋乱して居ない」「眼がぱつちりして鼻筋の通つた、色の白い細面で、頤のしまつたちとケンな顔で、眉はうつくしく剃つて居る」と容姿の描写が細かく続き、沖津の全身像が見えてくるのです。

こうした描写が長く続くのにも関わらず、すんなりと読み進むことができて、人物や風景を具体的に思い浮かべられるのは、鏡花の描写力が優れているからでしょう。

鏡花の作品が新派の演目として舞台に上がることが多い理由のひとつは、こうした視覚に直結する描写がすばらしい点にあるかもしれない、と思いました。

以上、『辰巳巷談』のあらすじ、考察、感想でした。

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みやこ

月に10冊ほどのペースで、かれこれ半世紀以上さまざまな本を読んできました。どんなジャンル、作家の本であっても、食わず嫌いはせずに一度は読んでみるようにしています。還暦を目の前にした今でも、日ごと新しい面白い本に出会えるのを楽しみに過ごせることがありがたいです。好きな作家は、福永武彦、吉川英治、池波正太郎、清水義範、宇佐見りん。「自分が読みたい文章を書く」ことを念頭に記事を執筆しています。