『一九二八年三月十五日』の紹介
『一九二八年三月十五日』は、1928(昭和3)年、全日本無産者芸術連盟(ナップ)の機関誌『戦旗』10・11月号に発表された小林多喜二の作品です。
本作は、1928年3月15日未明に政府から日本共産党の活動家を中心に一斉検挙された事件をモチーフにしており、プロレタリア文学の画期的な作品として世に受け入れられました。
しかし、発表当時、検閲の目もあり、多くの削除と伏せ字によって修正されたものでした。
1948(昭和23)年日本評論社で刊行された『小林多喜二全集』の収録掲載をもって本文が復原されることになります。
ここでは、『一九二八年三月十五日』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『一九二八年三月十五日』――あらすじ
1928年3月15日、北海道小樽で、日本共産党員を始めとする労働運動家が一斉検挙されました。
捕まった者達は職業も家族構成も様々でしたが、みな牢屋に閉じ込められ、中には過酷な拷問を受ける者もいました。
そして、釈放が許されず、小樽警察に抑留された人々は、札幌へ裁判所の予審にかけられるため4月20日までに護送されることになったのです。
彼らが去り、残されたのは警察署の壁に落書きされた、「3月15日を忘れてはならない」ことを訴えた檄文だけでした。
『一九二八年三月十五日』――概要
主人公 |
小川竜吉 |
重要人物 |
渡、石田、工藤、斎藤、佐多、お恵、お由 |
舞台 |
小樽 |
時代背景 |
1928年3~4月 |
作者 |
小林多喜二 |
『一九二八年三月十五日』――解説
『一九二八年三月十五日』は、小林多喜二が北海道拓殖銀行小樽支店に勤めていた時期に書かれた作品です。執筆当時、労働運動にかかわっていた多喜二は、小樽の活動家のこともよく分かっていました。
1928(昭和3)年3月15日に日本全国で行われた労働運動家に対する弾圧は、小樽でも200人近くの人が警察に勾留される規模のもので、多喜二も大きな衝撃を受けたのです。
その直接的な出来事があってか、本作品の登場人物にはモデルが複数います。多喜二の執筆にあたって書かれたメモにそのことが残されているのです。
また、多喜二は関係者から警察内でいかに酷い拷問が行われていたかも、丹念に取材しています。
そうなると、これは一つのモデル小説でもあり、また事実に基づく客観性という点を重視するならば記録小説とも読み取れるのです。
この2つの観点から『一九二八年三月十五日』の登場人物を分析してみると、興味深い考察が生まれるかもしれません。
そのためにも、まず、この作品の登場人物を洗い流し、多喜二がどこまでのリアリティを再現したのかを解説します。さらに、感想で、記録小説においてフィクションを扱うのにどのような問題が横たわっているのかを、本作を例にして考えていきたいと思います。
インテリに対する目線――労働運動に内包するリアル
『一九二八年三月十五日』で、労働運動家としてモデルになっている人物は、多喜二のメモによると、以下の7名です(カッコ内が実在の人物)。
- 小川竜吉(古川友一)
- 渡(渡辺利右衛門)
- 鈴本(鈴木源重)
- 斎藤(鮒田勝治、高橋英力)
- 阪西(大西喜一)
- 佐多(寺田行雄)
斎藤だけは変則で、鮒田、高橋という人が一人のキャラクター設定に反映されています。
また、石田という登場人物がいますが、これは「×(理想的な人物に伊藤信二)」とされていますので、伊藤という人物と関連づけがみられます。
字をみても明らかなように、斎藤、佐多以外は、多喜二が登場人物を確信犯的に世間でもわかるようにモデルとして使っていたことがわかるでしょう。
さらに興味深いのが、本作品でこの登場人物達の間に対立構造があることを明記しているのです。
「斎藤などは、石田には狂犬病患者であるとしか考えられなかった。石田はこの運動をしているものに、殊に『斎藤型』の多いのを知っている。それらを見ると、石田は何時でも顔をそむけた。」
小林多喜二,『蟹工船 一九二八・三・一五』, 岩波文庫, 1951, pp156
この斎藤という人物は、あまり考えることはせずに威勢だけで人を引っ張っていくタイプとして、本作でもやや否定的に描かれています。
一方で、石田は、場をよく考えて理知的に行動する人物設定です。
また、次のような描写もあります。
「渡は、『小川さんはねえ、警察で一度ウンとこさなぐられたら、もっと凄く有望になるんだがな』。といったことがあった。」
小林多喜二, 前掲書, pp222
渡は彼らの組織の中心的人物で、叩き上げの存在です。対する小川竜吉は、執行部の位置にはいるのですが、かつて学校の先生を務めており、警察からは検挙されても、巡査からは「貴様」ではなく「貴方」扱いされてきたのでした。それを渡が揶揄したのです。
このようにまず執行部のメンバー間で温度差があります。
まず渡を始めとする労働者階級を代表する側、そして組織の理論家として立ち位置している小川竜吉達のグループ。
しかし、本作ではこの2つが正面から対立することはありませんでした。
ただ、少数派である小川達の方は人知れず悩みを抱えることになります。
小川は、自問自答します。自分のような「インテリゲンチャ」は、農村や工場にも本当のところは寄り添えず、しかも持てる知識のためにどこか「ブルジョワ文化」に憧れをもつ、そのような「宙ぶらりん」の存在なのだと。
しかし、物語の中盤で小川竜吉と石田は次のような会話を交わします。
"「『(前略)それア、どうしたって個人的にいって不愉快なことはあるさ。だが勿論そんなことに拘(かか)わるのは嘘(、傍点)だよ。俺だって渡(わたり)のある方面では嫌なところがある。渡ばかりじゃない。しかし、決してそれで分離するとはしないよ。それじゃ組織体(、、、傍点)としての俺だち(原文ママ)の運動は出来ないんだから。』
『うん、うん。』
『これから色々困難な事に打ち当るさ。そうすればキットこんな事で、案外重大な裂目を引き起さないとも限らないんだ。俺だちはもっともっと、こういう隠れている、何んでもないような事に本気で、気をつけて行かなければならないと思ってるよ。』
『うん、うん。』石田は口の中で何遍もうなずいた。」"小林多喜二, 前掲書, pp198-199
実際にモデルがいる以上、では現実的に古川友一(小川竜吉)と渡辺利右衛門(渡)や、石田とは特定されていないが、関連づけされている伊藤信二と鮒田勝治(斎藤、高橋)達の間でトラブルがあったのでしょうか。
それを立証するのは難しいのですが、多喜二は、モデルの人物達に認識があったわけで、組織内にぎくしゃくした関係があったのは分かっていたのでしょう。さらに、多喜二はこの事実も公にしてよいと判断したのです。その上で、両者の理解が存在することを読者に訴えたのではないでしょうか。
実際には、終盤に、渡、工藤、斎藤、そして小川竜吉が筆舌し難い拷問にあいます。執行部の人間はインテリもそうでない者も含めて労働運動の盾となったのです。
唯一架空の重要人物「工藤」の存在――作者の思想を投影させる人物
本作の執行部で検挙された重要人物のうち、唯一モデルがいない人物がいます。
それが工藤です。渡のグループの人間でした。
「色々な点で渡と似ていた工藤は、しかし彼のように何時でも一本調子に『意思』をムキ出しにはしなかった。だから彼は渡のそばにいなければならない『エンゲルス』だ、と皆にひやかし半分にいわれていた。」
(小林多喜二, 前掲書, pp188)
エンゲルスに例えられた工藤は、イメージとしてはナンバー2のような役割でしょうか。
しかし、なぜ彼にモデルがいなかったのでしょう。
それは、多喜二が、彼に労働運動家としての自分の理想を反映させたかったからかもしれません。工藤の能力自体が高いという話ではなくて、運動における彼の存在の評価です。
それは、小川勇吉と工藤、両者の妻の比較でも明らかです。
冒頭で登場する小川の妻であるお恵は夫の運動に表立って反対はしていないものの、心の中では納得していない人間です。彼女の葛藤は次のように書かれています。
「夫たちは誰のためにやっているのだ。お恵は変に淋しい物足りなさを感じた。夫たちはだまされている! 馬鹿な、何をいう! しかし、暗い気持ちは馬虻(うまあぶ)のように、しつこくお恵の身体にまつわって離れなかった。」
小林多喜二, 前掲書, pp172
一方、工藤の妻お由は、対照的な存在となっています。活動を繰り返し警察に目をつけられている工藤に職はありません。子どもがいる彼らの家計を支えているのはお由です。しかし、彼女は泣き言も言わず、工藤を支えます。警察に連行される工藤を見送るお由の胸の内です。
「自分たちの社会が来るまで、こんな事(、、、、傍点)が何百遍あったとしても、足りない事をお由は知っていた。そういう社会を来させるために、自分たちは次に来る者たちの『踏台』になって、さらし首にならなければならないかも知れない。」
小林多喜二, 前掲書, pp165
多喜二には男性もさることながら、労働運動において、女性にかける期待も過剰なまでに強いものがあります。工藤はこのような妻をもったことだけでも、多喜二の理想を実現させているのです。しかし、モデルとして誰も取り上げられていなかったところをみると、当時の多喜二の周囲に、こうした妻をもった活動家がいなかったのかもしれません。
また、それ以外でも思想的な部分で多喜二が工藤に託したと思われる、興味深い箇所が本作中にあります。佐多という銀行に勤めている会社員の労働家が釈放されたことを受けての渡と工藤の見解です。
「渡は別にどういう感じもそれに対して起さなかった。(中略)同じ運動にいても、会社員――インテルゲンチヤ(原文ママ)というものからくるものと、やはり膚が合わなかった。別にイヤではなかった。無関心でいた、といってよかった。
しかし工藤は、竜吉などと同じように、こういうインテルゲンチヤがどしどし運動の中へ入ってきて、自分たちの持てない色々の方面の知識で、ともすれば経験の少ない向う見ずな一本調子になりやすい自分たちの運動に、厚さと深さを加えなければならない、と思っていた。」小林多喜二, 前掲書, pp238
当時の多喜二は苦しい労働体験はあるものの、銀行に就職している会社員で、インテリゲンチャの階級にあります。従って、自分の持てる労働者としての体験と知識層への理解、この二つを工藤という人物に投影したのではないかと考えられるのです。
しかし、一方で小説では、工藤から知識層側へ理解と共感をさせるシーンを作ったのですが、モデルのいない工藤にそうさせることで、現実においてはそれがまだフィクションの部分でしか達成されていないことを示しているととれるのです。
現実と理想の間(はざま)――ノンフィクションとフィクションの立ち位置
本作は、一般的には、これまで、警察が労働運動家に対していかに残酷な拷問をしたか、その部分があまりに強調されてしまって、これまで論じてきた視点がその陰に隠れてしまっている嫌いがありました。
しかし、本作は、労働運動がどのような過程を経て、巨大な権力に対抗出来る組織をつくっていくのか、その成立ちの根源的なメッセージもあったのです。
多喜二は、政府の弾圧を受け、怒りのあまり運動家の証言を一気に拾い上げ、熱情をもって執筆に移ったと思われます。
彼自身、今回は検挙されていないわけですから、個人的な体験としてこの小説に反映させるわけにはいきません。しかし、その取材力によってあたかも自分が拷問を受けたかのように描くことに成功し、それが警察に目を付けられることとなり、皮肉にも後の虐殺につながってしまうのです。
つまり、モデルもいた本作品の描写においてリアリティという点では問題がなかったわけです。すると、残されたのは先の話題である、多喜二の理想をどこまで小説に表現出来たかにかかってきます。
渡などの人物造形がノンフィクションとしてのアプローチとして成功し、彼らの考えが生々しく伝わった反面、インテリゲンチャ側でモデルとして確定したのは小川竜吉のみで、しかも彼の妻お恵は運動に深い理解はない女性とされており、こちらは少々迫力に欠けます。
もちろん、石田や佐多というキャラクターもいるのですが、この二人は渡たちと違って、本名との関連付けがないのです。そして、おそらくこれは登場人物の造形と本人を直結はできないという意図があるからでしょう。
多喜二は、そこで工藤というモデルではないオリジナルキャラクターを登場させましたが、インテリゲンチャ側に説得力のある現実的なモデルを登場させられなかった、従ってフィクションの力に頼るしかなかったと解釈出来るのです。
もちろん、物語の構築にフィクションの力に頼っていけないことは全くありません。むしろ、文学はその力を出すためにあるのです。
では、これから感想で、リアルを追求した記録小説の面をもつ本作品が、フィクションの力をどのように使っていったのかついて考えていきます。
『一九二八年三月十五日』――感想
冒頭で、本作はモデル小説と記録小説の観点から検討できるとお話ししましたが、それは小説における、現実(ノンフィクション)と虚構(フィクション)との在り方について考えることにつながります。
プロレタリア文学においては、「政治をどうするか」という命題があり、それに「解」を求めるという背景を持っています。この政治という「現実」は外せないのです。
多喜二の時代のプロレタリアートにおいては、「政治をどうするか」というのは、「労働者階級が国家や資本家から、彼らの本来持てる権利を奪還するにはどうしたらよいか」に翻案できます。ですから、小説の舞台は、労働者階級が抑圧された場所、つまり農村や都市などかなり限られた現実空間となります。
多喜二の代表作『蟹工船』が斬新で一般的評価も高かったのは、一つには舞台設定があったのではないでしょうか。
プロレタリア文学において限定されがちな舞台を、連絡手段が遮断された海上においたのです。労働者のもつ孤独と切迫感がより一層強調されました。
しかし、舞台がどうあれ、そこにリアリティがなければ、プロレタリア文学の読者は離れていってしまいます。革命が前提の現実に真実味がなかったら運動につながりません。
つまり、プロレタリア文学と世間の現実は強い連帯を持っているのです。
多喜二は本作でモデル小説と記録小説の手法を一部借りて、大きなリアリティを獲得しました。しかし、一方で彼の理想を描くにはフィクションの力を借りなくてはいけなかったのは、これまでの議論の通りです。
では、そのフィクションは、本作の小説内に内蔵しているリアリティと同じ熱量をもてたのでしょうか。これを追求しなくてはいけません。
『一九二八年三月十五日』が残した課題
本作を読んだ志賀直哉は「『ひとつの出来事の真相を知らせたい場合には』小説の形をとらないほうがいい」と評しました。
これはある意味、小説家小林多喜二にしてみれば、辛辣な意見だったともいえるでしょう。
要は本作のテーマであれば、小説にすることはなかった、と言っているのですから。
確かにもっともな意見で、これは記録「小説」である必要はなかったのです。
では、なぜ多喜二は小説にしたのか。
それは、多くの一般の人々に読んでほしかったからです。小説の形式をとらないとなれば、この事実は政治的アジテーションとしてビラにしたりして撒くしかありません。
そうすると次の質問が生じます。本作は、より多くの読者を獲得した人気小説となったでしょうか。残念ながら、『一九二八年三月十五日』は、少なくとも『蟹工船』ほどの知名度を得るには至りませんでした。
多喜二自身は、『蟹工船』は本作よりも「一歩前進している」とのべています。理由として、『蟹工船』は、本作が描いた各個人の性格、心理を排したこと、労働者の「集団(グループ)」を主人公にしたことを挙げており、政治的な格闘をするために書かれる「プロレタリア文学」は、個々の姿よりも虐げられた思いが集約された集団として、倒すべき国家権力、資産家勢力に対抗する姿が描かれねばならないとしたのです。当時、その意図を賞賛した批評家もいました。
労働者グループの目線を構築した『蟹工船』は、大きな評価も得ましたが、その実験はもろ手を挙げて歓迎されたとはいえませんでした。『蟹工船』もまた本作と同じように文学としての弱点をつかれ、多喜二本人もその批判を甘んじて受け、次回作へ更なる完成された小説の再挑戦を誓っていたのです。
本作で多喜二が問題とした個々の人間の思いの反映ですが、それは記録小説の限界でもあります。記録小説は群衆を描くことが多いのですが、その元になるのは個人の言葉であり、生き方です。
多喜二自身、この小説のタイトルを、最初『一九二八・三・一五』として(岩波文庫版はそれを踏襲しています)、後に『一九二八年三月十五日』に変わったわけですが、他に日付以外、タイトルの想像がつかなかったといっています。これは、彼が三・一五事件のことを何といっても記録したかったことに他なりません。
多喜二はこの事件に憤って、数ヵ月で本作を書き上げました。
小説の技巧云々よりも、怒りの告発の方を優先させたといってもよいでしょう。
故に記録小説というのは決して悪いスタイルではありませんでした。
しかし、発表されると彼のリアルが逆に、運動にマイナスに働いたことを知ります。
拷問のシーンがあまりに酷くて、労働に躊躇する者が現れたというのです。
多喜二は、工藤など労働階級出身でありながら、知識階級にも目線がある人物を投下し、理想を語らせたのですが、労働者はその思想よりも、拷問のリアルに心が囚われてしまったのです。
多喜二は、「本気で」記録小説を書こうとしたのだが、むしろそれが労働運動家の獲得を妨げてしまった、もう少し厳しい言い方をすると、小説としてのフィクションの昇華をさせるには、彼の力量が欠けていたことになります。
しかし、発表当時から100年以上が過ぎています。
本当に本作は、小説として成り立っていないのか、記録小説の観点から考えて本作の価値は再確認されないだろうか、その欠点の見直しさえすれば、今後の新たな記録文学の開拓へとつながるのではないのか、それらの可能性を探ってみます。
記録小説におけるフィクションの可能性
ノンフィクション作家沢木耕太郎の『星をつなぐために』(岩波書店刊)という対談集があります。ここではフィクションとノンフィクションをめぐって、沢木と9人の作家達が話を繰り広げています。
ここでは「ノンフィクション」の在り方に比重がおかれていますが、その対談で同じノンフィクション作家の柳田邦男が、日本に比べて、アメリカは即物的なノンフィクション、つまりイデオロギーに囚われず、人間をあるがままにとらえるそうしたものが盛んな国だと評していました。
『一九二八年三月十五日』に登場している人物も、労働者側は、意外と即物的な描写になっているのです。渡などはその典型で、「興味がないものは気にしない」というスタイルです。斎藤も、もしかしたら自分が楽しければいいという思いで生きているのではないでしょうか。この人間臭さに現実味が出るわけです。
その点、インテリゲンチャ層ではありましたが、小川竜吉はモデルがいるからか、彼の人間の弱さが現実目線で、読者に共感を起こします。
モデルとなった古川は、三・一五事件後も運動を続け、1944(昭和29)年、特別高等警察(特高)につかまり、小樽署で酷い拷問を受け、翌年1月に小樽の病院で病死しました。
1928(昭和3)年当時、多喜二と古川は親交があり、古川の妻キヨも本作のお恵のモデルになっています。
本作の書かれた小川とお恵は、あくまで多喜二の目線からですが、実在する古川とキヨに非常に寄せて書かれていたのではないでしょうか。
ですから、どうしても作られたキャラクター工藤の存在が浮いてきます。生き方は(当時の共産党的には)立派なのですが、独善的に見えてしまうのです。
本人も家族も生活ギリギリのところで悩むのですが、小川竜吉に比べてどうにも心に響きません。
これはどうしても、執筆当時多喜二自身が概念の中で生きていた、だからその分身であった工藤を生かしきれてなかったのではないでしょうか。その堅さがフィクションとしても不自由な印象を抱かせてしまうのです。
フィクションを前提に生きている作家は、ある意味開き直っています。嘘を書いているのが前提ですから。嘘でも活き活きと書ける、文学はそれが許されるのです。
ここまでのリアリティを築いた本作に、逆に文学の自由さを受け継いだ魅力あるオリジナルの人物が登場し活躍したとすれば、本作の知名度は『蟹工船』を超えたかもしれません。
しかも、奇しくも多喜二は本作では、アメリカ風ノンフィクションの手法を無意識に取り入れ、人物を活写し、記録小説としての迫力を保っています。これは集団的群像の実験であった『蟹工船』にはない魅力です。この記録小説のリアリティを崩すことなく、フィクションの世界を読者に気づかれることなく導入すれば、それはジャンルとしては最高のものとなるでしょう。
プロレタリア文学のプロット上、フィクションが介在するには限界がありました。しかし、プロットの楔がない現代であれば、自由がききます。本作の分析が、リアリティとフィクションの融合をみた、新たな可能性を持つ記録文学誕生への一助となることを願ってやみません。
★参考文献
ノーマ・フィールド『小林多喜二――21世紀にどう読むか』、岩波新書、2009年
荻野富士夫編『小林多喜二の手紙』、岩波文庫、2009年
畑中康雄『プロレタリア文学再考 小林多喜二破綻の文学』、彩流社、2006年
倉田稔『小林多喜二伝』、論創社、2003年
小林多喜二、蔵原惟人解説『蟹工船 一九二八・三・一五』岩波文庫、1951年
沢木耕太郎『星をつなぐために』岩波書店、2020年