『菜穂子』について
『菜穂子』は、堀辰雄(1904‐1953)が1941(昭和16年)に発表した小説です。
堀辰雄の唯一の長編小説であり、晩年には、この作品を中心とした新たな『菜穂子』の構想を練っていたといわれています。
菜穂子が登場する作品には、菜穂子の母の手記である『楡の家』、『楡の家』『菜穂子』のどちらにも登場する「およう」さんの物語『ふるさとびと』があります。
『菜穂子』のあらすじ
《楡の家》
(菜穂子の母が残した日記)
1926年9月 信州O村の避暑地にて
いつかお前(菜穂子)が「私」(菜穂子の母:三村夫人)の死後、この日記を読むことを願って、本当は打ち明けたいことを書いておこうと思う。
近頃めっきり親子の仲が上手くいかなくなって、私のことを避けるようになったお前だけど…。
実業家の父が事業に失敗したことから、三村家へと嫁ぐことになった「私」。
しかし、菜穂子が15歳の時に、「私」の夫が亡くなります。
「私」は夫の死後、夫が愛したO村にある、大きな楡の木が印象的な山小屋を購入しました。
O村での避暑が恒例となっていた「私」と「お前」は、ある年の夏、隣のK村でのティーパーティーに招かれ、小説家・森於菟彦と出会います。
「お前」は「私」と森さんの仲を疑うようになり、次第に母娘の溝が深まっていくのでした。
母の死後、菜穂子は母の日記を見つけます。
読後、母への同化と嫌悪を感じた菜穂子は、母の日記を楡の木の下に埋めようと決めるのでした。
《菜穂子》
・菜穂子の物語
菜穂子は《楡の家》で「私」が反対したお見合い相手と結婚し、あまり幸せではない結婚生活を送っていました。
菜穂子が嫁いだ黒川家は早くに大黒柱を亡くし、長年、夫・圭介と圭介の母の2人暮らしでした。
3人での暮らしが始まり、義母に気兼ねする毎日を送る菜穂子。
そのストレスもあり、ついに菜穂子は結核を発症します。
菜穂子は夫と母に付き添われ、山の療養所に入所することとなったのでした。
圭介は、ある出来事から菜穂子と母の関係、母が自分に隠していることを知ってしまいます。
はじめて他人のために苦しんだ圭介は、菜穂子に会いに行くのでした。
ある日、菜穂子は大雪のなか療養所から抜け出し、汽車で東京へ向かいました。
菜穂子が東京に帰ってきたことを母に打ち明けられない圭介は、菜穂子を麻布のホテルに泊め、自分は母の待つ家へと帰宅します。
菜穂子はホテルの外を眺めながら、療養所の冷たさに思いをはせるのでした。
・明の物語
O村で菜穂子の幼馴染であった都築明は、東京で、夫とともに歩く菜穂子を見かけます。
菜穂子を見かけたこと、自身の体調が悪化したことから、明は休職し、久しぶりにO村を訪ねることにしました。
明は村の女性・早苗に淡い感情を抱きますが、早苗は村の巡査に嫁いでしまいます。
復職後も、明の体調が戻ることはありませんでした。
菜穂子が療養中であることを知った明は、旅行の一環として山の療養所を訪れ、菜穂子と再会します。
そのまま明の体調は回復することなく、O村で介抱されることとなりました。
明は病床で雪をながめながら、自分の一生や運命について考えます。
《ふるさとびと》
『楡の家』で「私」から一目置かれ、『菜穂子』では明を介抱した、O村の女性・おようの物語。
おようは19歳で結婚し、娘に恵まれましたが、1年で離婚します。
その後は実家に戻り、家業を手伝いながら、女手ひとつで娘・初枝を育てていました。
初枝は12歳のとき、事故が原因で脊髄の病になり、起き上がれなくなります。
家業の切り盛りと、寝たきりになった娘の看病に追われながら、生活を続けるおよう。
やがて初枝も20歳になり、おようは「自分が20歳のころにはもう結婚していた…」と感慨にとらわれます。
この20年で、おようを取り巻く人間関係だけでなく、村までもが様変わりしていたのでした。
『菜穂子』ー概要
物語の主人公 | 黒川菜穂子 |
物語の重要人物 | 都築明、黒川圭介 |
主な舞台 | 信州、東京 |
時代背景 | 1931(昭和6)年3月~12月 |
作者 | 堀辰雄 |
『菜穂子』の解説
・5人の母たち
菜穂子の母・三村夫人の日記ではじまる『菜穂子』三部作は、母と娘が印象的な作品です。
三村夫人と菜穂子の確執だけでなく、『楡の家』の冒頭には、三村夫人とその母(菜穂子の祖母)の関係が垣間見えるエピソードが描かれています。
- 三村夫人と菜穂子
- 三村夫人とその母
- 黒川圭介とその母(菜穂子の義母)
- おようと初枝
- 都築明と亡き母
このうち、明らかに不仲だと言えるのは三村夫人と菜穂子のみです。
しかし、三村夫人や圭介は不仲とはいえないものの、無意識のうちに母の支配下にあったことに気付くシーンがあります。
母の支配下というよりは、母との同化のほうが近いかもしれません。
・大いなる母「楡」
菜穂子たち三村家の別荘は、庭の大きな楡の木が印象的な建物です。
北欧神話では、楡(セイヨウニレ)は世界最初の女性・エンブラの元となった木だとされています。エンブラは、アダムとイブのイブにあたる女性です。
楡の木の下で菜穂子を待ち続け、心臓発作で亡くなった三村夫人と、母の残した日記を楡の木の根本に埋めようとする菜穂子。
すべての母である楡が、一組の母子を包んでいるかのような光景が浮かび上がります。
『楡の家』の大きな楡の木は、母の支配の象徴なのです。
母の死後、菜穂子は楡の家に遺品整理に訪れます。母の死の数か月前に嫁いでいた菜穂子にとっては、これが最後の訪問だったのかもしれません。
結婚によって、菜穂子は母の家から出ることができたのです。
明が療養のためO村を訪れた際、楡の家は釘づけされ、もう何年も利用されていないようでした。
・「母と娘」の別れ
楡の家を訪れたあと、明は早苗という女性に出会います。
明と早苗はあいびきを続けますが、早苗はもうすぐ村の巡査と結婚することが決まっていました。
最後のあいびきののち、巡査と早苗が一緒に歩いていく後ろ姿を見ながら、明は思います。
”「お前はそうやって本来のお前のところへ帰っていこうとしている……」
(略)
「おれはむしろ前からそうなる事を希ってさえいた。おれはいって見ればお前を失うためにのみお前を求めたようなものだ。いま、お前に去られる事はおれには余りにも切な過ぎる。だが、その切実さこそおれには入用なのだ。……」”
(堀辰雄『菜穂子』岩波書店,1973)
私はこの明の思いが、この物語を貫くテーマの一つなのではないかと思います。
『楡の家』で母の日記を読んだ菜穂子は、心の中で母に呼びかけます。
”ーーお母様、この日記の中でのように、私がお母様から逃げまわっていたのはお母様自身からなのです。それはお母様のお心のうちにだけ在る私の悩める姿からなのです。私はそんな事でもって一度もそんなに苦しんだり悩んだりした事はございませんもの。……”
(堀辰雄『菜穂子』岩波書店,1973)
菜穂子の母が『楡の家』で書いたことは、菜穂子の母の想像でしかありません。
もしかしたら、菜穂子は私のことをこう思っているであろう=私は私のことをこう思っている、という投影が起こっていたのではないでしょうか。
三村夫人は無意識に、娘と自分を同化していました。
しかし、三村夫人と菜穂子は別人格であり、感覚の鋭い菜穂子は母の内なる「菜穂子像」に気付いていたのです。
菜穂子が母の家、母の支配下から抜け出すという構図は、菜穂子の産まれなおしなのかもしれません。
一方、『菜穂子』では「母と息子」の関係も描かれています。
菜穂子のお見合い話は『楡の家』にも登場し、そこでは「私」が「お前」の結婚に反対します。
”「……私は本当のところをいうとね、そのお方がいくら一人息子でも、そうやって母親と二人きりで、いつまでも独身でおとなしく暮らしていらしったというのが気になるのよ(略)」”
(堀辰雄『菜穂子』岩波書店,1973)
この時のお見合い相手である黒川圭介は、菜穂子より10歳年上の35歳。当時としては晩婚といえるでしょう。
圭介も父を15歳で亡くし、母一人子一人で暮らしてきました。菜穂子と結婚後も、圭介の母は息子夫婦と同居を続けます。
そして圭介も、母に違和感を感じつつも、母の元から去ろうとはしません。
それに比べ、当時の娘をもつ母は、「いつか別れる日=娘が嫁ぐ日」が来ることを予感しながら生きていたのではないでしょうか。
今でこそ、嫁いだ娘が実家に立ち寄ることは珍しくありません。
しかし、結婚した娘の名字は男性側のものとなることが、まだまだ一般的です。
「私」から出てきて、「私」の庇護下にいた存在が、いつの間にか遠くに行ってしまう。明の言う「失うために求めたような存在」は、母と娘の関係にも当てはまるのです。
『菜穂子』の感想
・実在の菜穂子
『菜穂子』の登場人物は、実在の人物がモデルだと言われています。
- 三村夫人=松村みね子(本名・片山広子)
- 菜穂子=松村みね子の娘・宗瑛(片山総子)
- 森於菟彦=芥川龍之介
- 都築明=立原道造
松村みね子は裕福な家庭出身の、美貌の天才歌人です。
『楡の家』の三村夫人は若くして亡くなりますが、実際のみね子は堀辰雄より長く生きました。写真で見る限り、上品な容姿の穏やかそうな女性です。
菜穂子のモデルだと言われている宗瑛もまた、写真が残されています。母親譲りの美貌に、母よりやや鋭いまなざしが印象的です。
ジブリ映画『風立ちぬ』の菜穂子がキュートな顔立ちであるのに比べると(そちらも魅力的ですが)、『菜穂子』の菜穂子には、この鋭いまなざしが似合うように思います。
・何度も読み返したくなる作品
私が『菜穂子』をはじめて読んだのは、20歳頃のことでした。
当時の読書記録には、「幸せな物語とは言えないが、淡々と日々を生きている菜穂子たちに好感がもてる。『楡の家』の冒頭が最高」と書いてあります。
今回再読して、当時の自分の感想に驚きました。
確かに冒頭の「菜穂子、」という呼びかけは、重低音のように心に響くものがありますが、今となっては支配のように感じ、やはり三村夫人の娘への深い(重い?)愛情の表れのようにも感じます。
『菜穂子』は登場人物たちの内省が多いため、読んでいる年齢によって、感情移入の対象が変わるのかもしれません。
初読から10年たって私も母となり、「母としての自分」の在り方に悩んでいます。
だからこそ、母と娘の確執に注目したのだと言えます。
菜穂子の年齢を経て、三村夫人の年齢にちかくなってきた私。
娘が菜穂子の年齢になる頃には、娘と私の線引きがきちんとできているのだろうか。まだ仲良しでいるのだろうか。
そんなことを考えながら、今回は読みました。この記事を書きながら、その頃たとえ不仲であっても、私が娘を大切に思っていることは知ってもらいたい、もしかしたら三村夫人の(重たい)呼びかけも、この一心だったのではないか、などと想像した次第です。
次に読むとき、私は何に着目する人間になっているだろう。多くの年を重ねてから、すべて懐かしい思い出として、読み返す日も来るのかもしれません。