『元犬』の紹介
『元犬』は古典落語の一つ。 原話は文化年間に出版された笑話本「写本落噺桂の花」の一遍である「白犬の祈誓」。 江戸・上方落語両方で演じられる噺です。
文化は徳川家斉が将軍だった頃で、町人文化が顕著に発展した時代。
後の文政年間と合わせて「化政文化」と言われています。歌舞伎や川柳、浮世絵滑稽本など町人文化の全盛期ですね。
ここでは、『元犬』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『元犬』ーあらすじ
蔵前の八幡さまに、真っ白いきれいな犬がいました。
お参りに来る人達から「シロや、シロや」と可愛がられ「お前は本当にきれいな真っ白い毛をしているね。昔から白犬は人間に生まれ変わる、と言われてるからお前も来世はきっと人間になれるよ」
人間に生まれ変わりたいシロは「人間になれますように・・・」と裸足参りをして神様にお願いします。
満願の当日、シロは人間になりましたが、元は犬ですから裸で八幡さまをウロウロ。
ちょうどお参りに来ていた年配の男が、裸のシロに声をかけて世話をしてくれることになりました。
家に連れて行ってもらいますが、道中も犬の頃の癖が出て四つん這いで歩いたり、あちこちでおしっこをしようとしたり、匂いをクンクン嗅いだり。
着物や帯をもらいましたが、初めての着物にシロは着方がわからず四苦八苦。
着物を着たことがないシロに男は驚きますが「八幡さまのシロです」と言うと「あのシロかい!」とさらにびっくり。
男は「口入れ屋」という人に仕事を紹介することを生業にしている人でした。
シロにも何か仕事を・・・と考え、「話し相手になってくれる面白い人」をご隠居さんから頼まれていた事を思い出します。
玄関で下駄をくわえているシロに声をかけて、ご隠居さんのところへ連れていきました。
お元(おもと)、という女中と二人暮らしのご隠居さん。
シロはおしりを振って「こんにちは!」と明るく挨拶します。「おしりを振って挨拶するなんて愛想が良いねえ」とご隠居さんはシロを気に入り、口入れ屋さんはシロをご隠居さんの家に置いていくことにしました。
口入れ屋さんが帰る時、一緒に着いて帰りそうになるシロにご隠居さんが声をかけます。
「どうも、お世話になった人について行ってしまう癖があって・・・」義理堅いシロをご隠居さんは更に気に入ります。
「名前はなんと言うんだい?」と聞かれたシロは「シロです!」と答えます。
「しろ吉とかしろ太郎とかかい?」
「いえ、ただシロと言います!」
「タダシロウかい、いい名前だね」
ご隠居さんはシロに両親は元気か聞きます。
親父はどこの誰だかわからないし、お袋も毛並みの良いのについて行っていなくなってしまった、と答えたシロに
「悪いことをきいてしまったね」
とご隠居さんは謝ります。
そのうちお茶が飲みたくなったご隠居さんはシロに
「火鉢で湯が湧いて、鉄瓶がちんちんいっているだろ」
と言うと、シロは後ろ足で立ってみせて
「はい、ちんちん」
困ったご隠居さんは、
「仕方ない、そこの焙炉(ほいろ)を取ってくれ」
と言いますが「焙炉」がわからないシロ。
「ほえろ(吠えろ)」
と言われたと勘違いし、
「わんわん!」
と吠えます。
話が通じず、仕方なくご隠居さんは女中の元(もと)を呼びます。
「これ、元。元はいぬか?」
シロは答えます。
「わかりますか?今朝方、人間になったんです。」
『元犬』ー概要
主人公 | 蔵前の八幡さまに住んでいた白い犬 |
重要人物 | ご隠居さん |
主な舞台 | 江戸時代 |
出典 | 「写本落噺桂の花」の一遍である「白犬の祈誓」 |
『元犬』解説ー見どころ・サゲ
「元はいぬか?」
ご隠居さんが女中さんを呼びます。
「元はいぬか?(もとはいるかい?)」
シロは、元=もともと、いぬか=犬かい?と聞かれたのかと勘違いし、
「わかりますか?今朝方、人間になったんです。」
と返事をしてこの噺は終わります。
「尾も白い」
上のサゲに加えてもう一つサゲをつける噺家さんもいます。
それが「道理で。尾も白い(面白い)」です。
「わかりますか?今朝方、人間になったんです。」
と答えたシロは、昨日までは八幡様に住んでいた犬だったことを告白します。それを聞いたご隠居さんがシロにかける言葉です。
『元犬』―小ネタ・豆知識
蔵前の八幡様
蔵前の八幡様は台東区の蔵前駅近くにあります。
八幡様は京都の岩清水八幡宮を勧請した由緒正しい神社。
元犬の舞台になったため、シロの銅像もあります。
上方落語で「元犬」を演じる時は、八幡様ではなく「天満の天神さん」にシロがいたことになっています。
天神さんは大阪の寄席、天満天神繁昌亭の近く。「天神祭」は日本三大祭としても有名です。
毎年、大阪松竹座の七月大歌舞伎に出演する歌舞伎役者さんがお披露目のために行う「船乗り込み」でも知られています。
ほいろとは?
ほいろは「焙炉」と書きます。緑茶を焙じて(火で炙って湿り気をなくす)ほうじ茶にするための道具です。
一般家庭では急須型のものを火鉢にかけたり、木箱の中に炭で火を起こして使うものなどがあります。
海苔をパリパリに乾燥させる時にもつかいます。
緑茶は中国から伝来した頃は薬として重宝されていました。
庶民にも広まったのは江戸時代頃ですが、それでも贅沢品でした。
庶民が今のように気軽に飲めるようになったのは、機械化が進んだ大正期以降です。
口入れ屋
口入れ屋は、簡単に言うと人材派遣会社や紹介会社のようなもの。
働く人を斡旋して、雇用主から手数料をもらう生業です。
江戸時代は知り合いでない限り、身元保証人がいないと職に就くのが難しい時代。
地方から江戸に働きに出てきた人の保証人になり、仕事を紹介していました。
元犬に出てくる口入れ屋さんは、裸のシロに着物をくれて世話をしてくれるような良い人ですが、中には誘拐まがいの口入れ屋さんもいたとか。
鉄瓶がちんちん
「火鉢の鉄瓶がちんちんいってる」
これは鉄瓶の中のお湯が湧くと鳴る音です。
「松風の音」と表現する人もいるくらい、かすかな音ですが、これは鉄瓶の底に細工があり鳴るようになっています。
裸足参り
神様に強いお願いの気持ちを表すため、お百度参りをする時に裸足でお参りすることです。(シロは犬なので噺の中で「犬はもともと裸足ですが」という噺家さんもいます)
現在でも行われている「お百度参り」。
古くは百日間毎日お参りすることで、お願いを叶えてもらう、というものでした。「満願の当日」は100日目にあたります。
現代のお百度参りは、お寺や神社の入り口から本殿まで進む、参拝・祈願を、1日で100回繰り返すお参りになっていますね。
シロは100日毎日裸足でお参りしたことで、人間になることができました。
毛並みの良いのについて行った
シロのお母さんは「毛並みの良いのに」ついて行ったようです。
シロの言う毛並みが良いは「毛並みのつやつやした犬」ですが、ご隠居さんは「毛並みが良い=血筋が良い」という受け取り方をしていますね。
『元犬』ー感想
元犬の面白さは、昨日まで犬だったシロと人間との会話のすれ違いや、犬独特の行動を、人間になってもしてしまうこと。
ご隠居さんの家に初めて行ったときも、玄関の敷居に顎をのせて舌を出してハアハアしています。人間だとありえない行動ですよね。
ただ、元犬に出てくる口入れ屋さんやご隠居さんはそんなシロを困りながらも「面白いねえ」と言ってくれる懐の深い人たちです。
比較的「何やってんだよ!」とツッコミの入ることが多い落語ですが、こういう噺もあるんです。