『草枕』の紹介
『草枕』は、明治39年に発表された夏目漱石の小説です。
一般的に「草枕」とは、「旅寝をすること」などの意味を持つ言葉です。
この言葉どおり、『草枕』は、熊本県玉名市の小天温泉をモデルとする「那古井温泉」を舞台に、一人の画工の旅の様子を綴った作品です。
ここでは、そんな『草枕』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『草枕』ーあらすじ
日露戦争の頃、30歳の画工の男(一人称「余」)が、「非人情」を求めて旅をし、山中の温泉宿で那美という女に出会います。
出戻りの那美は、周囲からは気狂だと言われていますが、「余」は那美がいつも芝居をしていると分析し、「今まで見た女のうちでもっともうつ
くしい所作をする」女だと評します。
那美の行動にしばしば驚かされながら、「余」は那美との交流を深めていきます。
ある時、「余」は、那美や彼女の父らと、那美の従兄弟である久一が満州の戦線へと旅立つのを見送りに駅に向かいます。
道すがら、「余」は那美に自分の画を描いてほしいと言われますが、画にするには足りないところがあると言って、彼女の頼みを断ります。
駅のホームに着くと、発車する汽車の中に、那美の別れた夫の姿を偶然見つけ、那美と元夫は顔を見合わせます。
野武士のような容貌をした元夫もまた、満州に向かうところでした。
行く汽車を茫然と見送る那美の表情に、「憐れ」を感じた「余」は、「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と那美の肩を叩きながら言います。
「余」が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのでした。
『草枕』ー概要
主人公 | 「余」:30歳の画工(画家)の男 |
重要人物 | 那美:温泉宿の若い奥さん。出戻り。 |
主な舞台 | 那古井温泉 ※熊本県玉名市小天温泉がモデル |
時代背景 | 日露戦争の頃 ※明治37年2月~明治38年9月 |
作者 | 夏目漱石 |
『草枕』―解説(考察)
・『草枕』冒頭部分に見る漱石の文学観
『草枕』は夏目漱石初期作品の名作とも評され、特にその冒頭部分が有名です。
以下に、冒頭文を引用します。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。夏目漱石『草枕』,小学館文庫,7頁
人生における教訓めいた内容に思われますが、この冒頭部分で作者が最も表したいものは
- 作者が理想とする「美」の文学観
であると考えます。
これを詳しく解説していきたいと思います。
まず、冒頭部分で出てくる「智、情、意地」とは、元は哲学者カントが提唱した三つの心の働き「知情意」に由来していると考えられます。
カントが説く「知情意」はそれぞれ、「知性」、「感情」、「意志」を示します。
漱石は、「理知だけで考えると他人と衝突する、感情だけを優先させると足元をすくわれる、意地を通そうとすると窮屈な思いをする」と三つの心の作用のバランスをとる難しさ、この世の生きにくさを述べています。
この三作用の話から芸術の誕生へと論が続いていくわけですが、これだけでは「知情意」と文学観の繋がりが分かりにくいと思います。
これを分かりやすく見るために、明治40年、東京美術学校で行われた漱石の講演『文芸の哲学的基礎』を合わせて考えたいと思います。
漱石は『文芸の哲学的基礎』の中で次のような分類を行い、「知情意」について解説しています。
1)物
a)自然
b)人間(物として観たる人間)
c)超感覚的な神
2)我
a)身体
b)精神 → 三つの精神作用に区別
Ⅰ)知 知を働かす人=物の関係を明める人(哲学者、科学者)
Ⅱ)情 情を働かす人=物の関係を味わう人(文学者、芸術者)
Ⅲ)意 意を働かす人=物の関係を改造する人(軍人、政治家など)
精神は「知情意」の三つの精神作用に区別され、三作用は完全に独立して働くのではなく、重なりあって働いていると言います。
そして、漱石は文学者のことを「情を働かす人」に属するとし、文学者は「情を離れて活きていたくない」という情の理想を持つと論じています。
同時に、物の関係を味わうためには情を働かせるだけではなく、知意の働きで物の関係を明らかにする必要性もあると言い、「どこまでも具体的のものに即して、情を働かせる、具体の性質を破壊せぬ範囲内において知、意を働かせる」のが文学者の特徴であると説明しています。
更にここから、漱石は文学者の理想を4つの種類に分類しています。
概括すると、一が感覚物そのものに対する情緒。(その代表は美的理想)
二が感覚物を通じて知、情、意の三作用が働く場合でこれを分って、(い)知の働く場合(代表は真に対する理想)(ろ)情の働く場合(代表は愛に対する理想及び道義に対する理想)(は)意志の働く場合(代表は荘厳に対する理想)となります。夏目漱石,『文芸の哲学的基礎』,青空文庫
漱石は、明治の文芸(特に、自然主義派の小説)を「真」を理想とする文学観であるとし、「真」を追求するあまり、「善」や「美」といった他の理想が傷つけられていると考えていました。
こうした自然主義文学に不満を抱いていた漱石は、「美」の世界、すなわち上記引用文における「感覚物そのものに対する情緒」を求めるようになります。
漱石が『草枕』に求めた理想が「美」であることは、明治39年頃漱石が知人に宛てて送った書簡や、明治39年11月に「文章世界」に掲載された漱石の談話の中に見ることができます。
この談話とは、漱石が『草枕』の意図するところを語ったものであり、以下に一部を引用します。
けれども、文學にしても苟も美を現はす人間のエキスプレッションの一部分である以上は、文學の一部分たる小説もまた、美しい感じを興へるものでなければなるまい。(中略)
私の『草枕』は、この世間普通にいふ小説とは、全く反對の意味で書いたのである。唯一種の感じ——美しい感じが讀者の頭に残りさへすればよい。夏目漱石,「余が『草枕』」,漱石全集別冊,漱石全集刊行会
漱石は、『草枕』という作品について、読者に美しい感じを与えるのを目的として書いたと説明し、同対話の中で『草枕』とは「美を生命とする俳句的小説」であると結論づけています。
ここで改めて例の冒頭文を考えてみましょう。
この冒頭文は、「非人情」を求めて旅をする画工の語りです。
俗世から離れようとする画工の旅は、神経衰弱を患っていた漱石が人間社会に嫌気が差していたことも執筆背景の一つにあるとは思いますが、基本的には、人間の情に囚われ厭世的傾向が強かった当時の文学観に対する批判的意識によって描かれたものだと言えるでしょう。
「知情意」が複雑に絡み合う人間社会の「真」を描いていくことに囚われすぎず、新たな視点で創作をした時、漱石が理想とする「美」の文学が誕生するということが、『草枕』冒頭部分で読者に示されているのです。
この新たな視点、すなわち「非人情」がどういうものか、次で考察を進めたいと思います。
・漱石が目指した「非人情」の文学とは
『草枕』の主人公は「非人情」の旅をしています。
前章の解説も踏まえて、「非人情」の意味をまとめると、
- 人間関係や人間の心の動きから離れて、ありのまま・自然体に物事を受け止めること
を指していると考えます。
しかし、旅には人との出会いはつきもので、『草枕』にも那美を始めとして多くの人物が登場します。
では、人と人が出会い、様々な出来事が起っていく中で、非人情の旅は具体的にどのような方法で実践されたのかという問題を考えたいと思います。
この方法は、『草枕』第一章で、画工の語りの中に述べられています。
これをまとめると、以下の4点が挙げられます。
- 旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てる。
- 芭蕉の発句のように、これから逢う人物を、ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取り扱う。
- 登場人物達は自由に動くが、画中の人間が動くように平面的な動きとして捉える。普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしないようにする。
- 相手との利害の交渉などが起らないように、全力を挙げて彼らの動作を芸術の方面から観察するように心がける。
すなわち、芸術作品を鑑賞している時のように、語り手は登場人物の人情に影響されることなく、彼らから一定の距離を置き、ひたすら観察者としての役割を担うという手法が用いられているのです。
観察者としての語り手を考えた時、『草枕』の主人公は、漱石の処女作『吾輩は猫である』の「吾輩」に近い位置にあるといってもよいかもしれません。
画工の視点で人間社会を観察し「美」を描く『草枕』と、猫の「吾輩」の視点で人間社会を観察し滑稽を描く『吾輩は猫である』は、何を描いたのかという差異はあれども、一風変わった独特の視点で観察に徹するという基本構造自体は共通していると言えるでしょう。
さて、「非人情」の4つの手法の説明に戻りますが、この4つに用いられる芸術(能、俳句、絵画)はいずれも、東洋の芸術です。
同じ『草枕』第一章で、主人公の画工は西洋芸術と東洋芸術を次のように対比しています。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。(中略)
余が欲する詩はそんな世間的の人の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。(中略)
ことに、西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。(中略)
うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れたような光景が出てくる。夏目漱石『草枕』,小学館文庫,15頁~16頁
「採菊東籬下、悠然見南山」は中国六朝時代の詩人陶淵明の詩の一節です。
「菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る」と読み、「東の垣根のところで菊の花を折り取り、ゆったりとした気持ちで南方の山を眺める」という意味です。
ここでは、人間社会の中の人情を描く西洋芸術と、自然の中の人間を描く東洋芸術が比べられています。
物事をありのままに受け止めて自然体に表現する東洋の芸術が、「非人情」を実践する方法として用いられ、『草枕』は「美」の小説として成立しているのです。
また、『草枕』執筆の前年、明治38年発表された談話『戦後文学の趨勢』の中でも、漱石は日本の絵画、芝居、俳句について触れ、それらの美しい理想、美しい価値について述べています。
『草枕』は、漱石の処女作『吾輩は猫である』脱稿の10日後に執筆開始され、約二週間で完成したと言われていますが、東洋の芸術を文学の手法として利用するアイデアのようなものは、『草枕』執筆開始以前——少なくとも明治38年には、漱石の中にある程度仕上がっていたのではないでしょうか。
・那美の「非人情」と「憐れ」
『草枕』は、初期の漱石作品の名作である一方で、一度読むだけでは何が言いたいのかよく分からない、非常に難解な作品であるとも思います。
『草枕』が難解な理由としてはいくつか考えられますが、その一つが、意味不明で脈絡のない話の筋にあると感じます。
前章の解説内容にも関連しますが、『草枕』に意味不明で脈絡のない感じを受けるのは、『草枕』が「非人情」の方法を採用しているからであり、且つ、那美という人物が「非人情」な人物であるからだと考えられます。
『草枕』は全13章で構成される小説ですが、章ごとの繋がりがない箇所が多く見られます。
ある章では部屋で画工と那美の二人の対話の模様が綴られ、それに続く章では、鏡が池という場所を画工が散策する様が綴られます。
章ごとに場面が大きく移り変わり、各場面が「非人情」の方法で傍観的に描き出されるため、各章が断片的で独立しているような印象を受けます。
これは、既に解説したように、『草枕』が人の心理に立ち入らず、ありのままに物事を観察する方法を採用していることに起因すると思われます。
そして、『草枕』の章の大半に登場するのが那美という女です。
言い換えれば、『草枕』で画工が観察する主な対象は那美ということができます。
画工に観察される那美は、度々画工を驚かせる所作をとります。
例えば、第六章では夕闇の中を振袖姿で行き来したり、第七章では風呂に入っていた画工の前に裸で現れたり、第十章では鏡が池の前に立つ画工の前に突然現れて身を投げるような真似をしたり、等々。
周りの人から気狂と言われても仕方がないような奇行っぷりで、意味不明感がすごいです。
しかし画工は、那美のこれらの所作を「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作」だと考えています。
あの女は家のなかで、常住芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然に芝居をしている。あんなのを美的生活とでも云うのだろう。あの女の御蔭で画の修業がだいぶ出来た。(中略)
義理とか人情とか云う、尋常の道具立を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。(中略)
余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。(中略)
この覚悟の眼鏡から、あの女を覗いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。夏目漱石『草枕』,小学館文庫,181頁~182頁
「非人情」の旅をする画工にとって、常に芝居をしている風な那美は、普通の人が持つ俗情から切り離された存在であり、まさに「非人情」の「美」の体現者と言える存在です。
その一方で、那美の顔には「憐れ」がないので、画にすることはできないとも考えています。
「憐れ」を辞書で引くと、複数の意味がある中に、悲哀・哀情の気持ち、情愛・慈愛の気持ちというものがあります。
那美の顔に「憐れ」が浮かんだのは、日露戦争へ向かう元夫を思いがけず見つけた時でした。
別れているとは言え、かつての自分の夫が戦場へ向かうのを偶然目のあたりにして、抑える間もなく、悲しい気持ち、なさけの気持ち、あるいはその二つがないまぜになった気持ちが表に現れたのでしょう。
那美に浮かんだ「憐れ」がいずれの気持ちであったとしても、この瞬間、「非人情」であった那美の姿は揺らぎ、「人情」の人へと変貌します。
そして画工は、那美に浮かんだ「憐れ」を見て、何度も描こうと考えては実現できなかった那美の画が成就したと言うのです。
「非人情」の小説ですから、胸中の画が成就したことに対して、喜びの感情などは明示されてはいませんが、「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」という台詞から、画工の興奮が伝わってくるように感じます。
「非人情」を追求していた画工が、「憐れ」という人情を得て画の成就を成す結末から、『草枕』の「非人情」の試みは成功したと見るべきか、あるいは最後の最後で失敗したと見るべきか、正直私はまだよく分かりません。
『草枕』は、読めば読むほど深みにはまる作品であり、私自身まだまだ読み込みが足りないなあと、今この解説文を書きながら痛感しているところです。
『草枕』ー感想
・低廻趣味の小説
「非人情」の旅の様子を描く『草枕』は、低徊趣味の作品とも言われます。
低徊趣味とは漱石の造語で、 世俗を離れて、余裕をもって傍観者的立場から人生を眺め、東洋的な詩的境地を楽しもうとする態度のことです。
『草枕』は漱石が唱えた低徊趣味を具現化した作品であり、当時の日本の文学観に対して、新たな挑戦をした作品だと感じています。
難解ではありますが、漱石作品の中でも唯一無二の特異な位置にある作品だと言えるでしょう。
また、『草枕』は漱石の教養の深さを改めて実感する作品でもあります。
『草枕』には、国内海外を問わず多くの作家や画家の名前が登場し、英文や俳句、漢詩なども多数出てきます。
今回の解説ではその一つ一つを詳しく見てはいませんが、英文や俳句の意味を知って読めば、更に作品の理解が深まると思います。
繰り返しになりますが、『草枕』は読み込めば読み込むほど面白さを増す小説なのです。
・『草枕』と戦争について
『草枕』が「美」を描いた作品であるということは解説しましたが、『草枕』の世界には、しばしば戦争の影がちらついて見えます。
2022年2月24日。悲しいことに、世界では大きな戦争が始まりました。
2022年3月1日の現在では、日本で暮らす私たちの生活には、まだ大きくこの戦争の影響は出ていません。
しかし、こうして日常生活が続く中にも、この戦争の存在を確かに感じ、悲しみと恐怖が常に心の中に影を落としています。
画工が田舎を旅する様を「非人情」に描きながら、その裏で戦争という現実から離れられない『草枕』は、今の心境と少し重なる部分があります。
個人的な話になりますが、私は被爆三世で、幼い頃から祖父母の戦争体験を聞いて育ちました。
原爆の語り部をしていた祖父は数年前に亡くなり、年々戦争を知る世代が減り、戦争を知らない世代が増えていくことに、複雑な気持ちがしています。
私たちは戦争を決して他人事と捉えるのではなく、現在の世界の情勢に目を向け、そして過去の戦争を知り、戦争の恐ろしさに真剣に向き合っていくべきだと、今このような時代の中で、改めて強く感じています。
『草枕』は戦争小説ではありません。
しかし、『草枕』を始め、戦争の時代を生きた文豪達の作品から、私たち読者は戦争というものの一片を感じ取ることができます。
近代文学作品は、歴史や浪漫を感じさせてくれるだけでなく、日本人が忘れてはならない出来事を今に伝えるツールの一つにもなり得ると、今回『草枕』を通じて、実感しています。
以上、『草枕』のあらすじ・解説・感想でした。
【参考URL】
夏目漱石,『文芸の哲学的基礎』,青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/755_14963.html
夏目漱石,「余が『草枕』」については、国立国会図書館デジタルコレクションを参照
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986233