夏目漱石『坑夫』作品の特徴からあらすじまで!『虞美人草』との関係も

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夏目漱石『坑夫』作品の特徴からあらすじまで!『虞美人草』との関係も

『坑夫』とは?

『坑夫』は、明治41年から朝日新聞に連載された夏目漱石の長編小説です。

明治40年に発表された『虞美人草』の次の作品であり、漱石が職業作家として執筆した二作目にあたります。

自暴自棄になって家を飛び出した良家の青年が、誘われるまま坑夫になるべく、鉱山の坑内へと降りていく様を描いた作品です。

ここでは、そんな『坑夫』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。

『坑夫』ーあらすじ

二人の女性を巡る恋愛関係のもつれから、生家を出奔した十九歳の青年は、あてもなく北へ向かう道中で、斡旋屋の長蔵に声を掛けられます。

東京の良家の生まれの青年でしたが、長蔵に誘われるまま坑夫として働くことを承諾します。

青年は長蔵に連れられて到着した銅山の町で、坑夫達の粗野で悪意に満ちた様子や、不衛生で劣悪な環境に直面します。

銅山の町に到着した翌日、青年は初という坑夫に案内され、シキと呼ばれる坑内に降りていきます。

青年は深い坑内で、死の恐怖を覚え、どうせなら華厳の滝で死にたいという思いを抱くようになります。

初とはぐれた青年は、坑内を迷い歩くうち、安という坑夫に出会います。

安は、過去に犯した罪から逃れるため、六年前にシキに潜り込んだ人でした。

安は、シキは人間の屑が抛り込まれる人間の墓所だと言い、学問のあるものが坑夫になるのは日本の損であり、元いた場所へ帰れと青年を諭します。

青年は安に感謝しながらも、改めて坑夫になる決意をします。

翌日、坑夫になるため健康診断を受けた青年は、気管支炎と診断され、坑夫として働けないことが判明します。

結局、銅山の飯場の帳附の仕事を五カ月続けた後、青年は東京に帰りました。

『坑夫』ー概要

物語の重要人物 ・自分:十九歳の青年。東京出身。
・長蔵:斡旋屋の男。
・安さん:屈強な坑夫。元は学生。
主な舞台 銅山の町(足尾銅山)
時代背景 明治時代
作者 夏目漱石

『坑夫』―解説(考察)

・作品の特徴

『坑夫』は、漱石作品の中で異色と評されることが多い作品です。

何が他の漱石作品と異なるのか?一言で言えば、『坑夫』とはどんな作品か?

結論から言うと、『坑夫』とは下記のような作品です。

実在の人物の経験談をルポルタージュ的に描いた作品であり、それまでの漱石の小説手法と異なるアプローチで執筆された実験的作品

『坑夫』の成立背景や手法については、漱石自らが残した談話「坑夫の作意と自然派伝奇派の交渉」や、『坑夫』素材(夏目漱石,『漱石全集 第十六巻』断片(明治四十年頃),1928,漱石全集刊行会)から明らかになっています。

これらによると、ある日漱石の所へ、新井という一人の男がやって来て、「自分の身の上にかういふ材料があるが小説に書いて下さらんか、其報酬を頂いて實は信州へ行きたいのです」と言いました。

坑夫として働いていた新井の体験を聞いた漱石ですが、個人の事情は書きたくないという思いから、「君自信で書いちやどうか」と言って一度は依頼を断ります。

しかし、朝日新聞に掲載が予定されていた島崎藤村の『春』が延期となり、急遽その穴を埋めることになった漱石は、新井の話を思い出し、「坑夫の生活の所だけを材料に貰ひたいが差支へあるまいか」と念を押した上で、『坑夫』の執筆を始めることになりました。

こうした成立背景を見ても、『坑夫』は他の漱石作品とは異なるイレギュラーな作品であると言うことができるでしょう。

また、小説の手法が実験的であったということは、前述の談話中に読み取ることができます。

あれに出て居る坑夫は、無論私が好い加減に作つた想像のものである。(中略)だから現實の事件は済んで、それを後から回顧し、何年か前のことを記憶して書いて居る體となつてゐる。從つてまあ昔話と云つた書方だから、其時其人が書いたやうに叙述するよりも、どうしても感じが乗らぬわけである。それはある意味から云えば、文學の價値は下がる。其代り(中略)昔の事を回顧してると公平に書ける。それから昔の事を批評しながら書ける。善い所も悪い所も同じやうな眼を以て見て書ける。(中略)遠い感じがある。當が遠い。所謂センセーショナルの烈しい角を取ることが出來る。

夏目漱石,『漱石全集 第二十巻(別冊)』,1928,漱石全集刊行会,491頁

あの書方で行くと、ある仕事をやる動機とか、所作なぞの解剖がよく出來る。元来この動機の解剖といふ奴は非常に複雑で、我々の気付かん事が多くある。これを眞に事實として寫せば極く〱煩瑣なものであつて殆ど書き現はせない。よし現はせても煩に堪へぬ不得要領のものとなつて了ふ。面白くない所爲かも知らんが、ある意味から云へば、かゝる方面の事は餘り多くの人がやつて居らん。のを、私は却つて夫が書いて見たい。——細かくやって見度い。といふ念があるから、事件の進行に興味を持つよりも、事件其物の眞相を露出する。

夏目漱石,『漱石全集 第二十巻(別冊)』,1928,漱石全集刊行会,491頁

『坑夫』は、主人公「自分」の語りで、過去の坑夫体験を回顧しているような書き方で話が進行していきます。

個人の事情を書きたくないと言った漱石は、この書き方の手法を試みることで、登場人物らが織りなす様々な事件の進行を描く当時の一般的な小説から、一線を画す作品を生み出したと言えるでしょう。

また、『坑夫』素材と比べると、『坑夫』作中の出来事は概ね新井が提供した体験談と一致していることが分かるのですが、銅山へ向かう道順や、「自分」が安さんを訪ねるシーンの位置の入れ替わりなど、細部に食い違いが見られます。

これは、漱石が『坑夫』という作品を新しい手法で描く物語にするべく、明確に変化させた部分であり、『坑夫』が単なる記録記事ではないことを示します。

ややこしい言い方ではありますが、『坑夫』はあくまでルポルタージュ的“小説”だと言えるのです。

・坑夫という職業

坑夫とは、鉱山や炭坑で採掘作業に従事する労働者のことを指します。

現代では鉱員という呼び方が一般的なようです(坑夫は漢字変換で出てこないため、この解説記事のために私は自宅PCに単語登録しました(笑))。

当時の鉱山労働者は、低賃金且つ過酷な労働条件を強いられており、作中の描写からもその厳しい状況を垣間見ることができます。

主人公の青年が、初めて坑内に降りていくシーンでは、案内人の坑夫が青年に向かって次の台詞を投げかけます。

「どうだ此処が地獄の入口だ。這入るか」

夏目漱石,『坑夫』,新潮文庫,1976,172頁

ここでは地獄という言葉で、坑夫達が働く坑内が端的且つ印象的に表現されています。

また、主人公の青年は坑夫になることを堕落と言い、坑夫の安さんはシキ(坑内の称)を「人間の墓所」と言っています。

言葉が悪いですが、坑夫とは、当時の感覚で底辺職と呼ばれるような職業であったのではないでしょうか。

そして、明治、銅山と言えば有名なのが、栃木県上都賀郡足尾町(現・日光市)にあった足尾銅山です。

歴史の教科書で目にする足尾銅山鉱毒事件は、明治初期にかけて起きた日本初の公害事件です。

足尾銅山の公害が田中正造らによって問題提起されたのは、『坑夫』執筆年よりも二十年近く前であり、この公害事件に関する記述が作中に出てくるわけではありません。

しかし、この足尾銅山こそが、『坑夫』の主たる舞台となった銅山のモデルなのです。

作中で足尾という地名は一言も出ていませんが、漱石が残した『坑夫』素材メモには、はっきりと足尾銅山の名前が記されています。

奇しくも、『坑夫』執筆の前年・明治40年に、足尾銅山では足尾銅山暴動事件と呼ばれる事件が発生しています。

先の足尾銅山鉱毒事件で命令が下された鉱毒防止費用等が負担となり、当時の足尾銅山で働く坑夫達は、低賃金で働かされていました。

過酷な労働条件であったこともあり、不満が高まった坑夫達が、待遇改善を求めて鉱山施設を破壊したのが足尾銅山暴動事件です。

この事件の発生翌年ということもあって、当時の読者は『坑夫』にブラック企業を舞台にした社会派小説的なものを想像していたかもしれません。

実際には、『坑夫』は一人の青年が堕落していく様そのものに焦点を当て、淡々と過去を振り返っていく非常に内面的な作品です。

作中で足尾の地名を載せなかったのも、漱石が「書いて見たい」と思った小説は社会派小説ではないため、特段明記の必要性がない情報と考えたからではないでしょうか。

・『虞美人草』のアンチテーゼ

『坑夫』は、前年に執筆された『虞美人草』とは全く性質の異なる作品です。

『虞美人草』は、装飾的な文章で、登場人物の性格や役回りなどの設定ががちがちに固められていて、分かりやすい勧善懲悪的内容をしています(詳しくは『虞美人草』解説記事を御覧ください)。

参考『虞美人草』解説|二人の女の対比から作品の成立背景まで!

この記事では、夏目漱石『虞美人草』のあらすじ・解説・感想をまとめました。東京帝大講師を辞職した漱石が、職業作家として初めて執筆した作品が『虞美人草』です。ここでは、作中の二人の女の対比から、作品の成立背景、『虞美人草』が駄作なのかまで詳しく解説します。

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前述した作品の特徴を考えてみると、演劇的な『虞美人草』と、ルポルタージュ的小説の『坑夫』は非常に対照的な作品です。

一言で分かりやすく言えば、

『坑夫』は『虞美人草』のアンチテーゼ

と捉えることができるでしょう。

なぜそのように捉えられるか、ここでは『坑夫』の無性格論という問題を軸に考察を進めたいと思います。

『坑夫』の語り手である主人公は、性格はないものだという考えを、しばしば独白しています。

近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分った様な事を云っているが、ありゃ、みんな嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと、性格なんて纏ったものはありやしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃないし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。

夏目漱石,『坑夫』,新潮文庫,1976,12頁

(中略)よく調べてみると、人間の性格は一時間毎に変っている。変るのが当然で、変るうちには矛盾が出て來る筈だから、つまり人間の性格には矛盾が多いと云うことになる。矛盾だらけの仕舞は、性格があってもなくても同じ事に帰着する。

夏目漱石,『坑夫』,新潮文庫,1976,96頁

坑内に初めて足を踏み入れた「自分」が、「まだ下りられるか」と案内人の坑夫に尋ねられ、内心は「御免蒙ろうかしら」と考えつつ、案内人の顔色で返事を判断しようとする場面でも、以下の独白が見られます。

つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場面である。平生築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩れる場合のうちで尤も顕著なる例である。——自分の無性格論は此処からも出ている。

夏目漱石,『坑夫』,新潮文庫,1976,201頁

型に嵌めたような人物設定で展開していく『虞美人草』を、真っ向否定するような内容です。

また、『坑夫』の主人公は、二人の女性をめぐる恋愛関係のもつれから、東京の生家を出奔しています。

その詳しい内容は明かされていませんが、『坑夫』の主人公の家出事情から、二人の女性の間で恋愛関係に悩む『虞美人草』の小野さんが自ずと連想されます。

わざわざ同じようなバックグラウンドを持つ青年を登場させながら、無性格論のような真逆の内容をしているところも、『坑夫』が『虞美人草』のアンチテーゼであることを強調しているように思います。

注意したいのは、あくまでも『坑夫』が『虞美人草』のアンチテーゼであるというだけで、以降の作品が『坑夫』と全く同じ手法や内容の小説になったのかと言えば、これはそうではありません。

ただ、全く同じ手法とは言えませんが、例えば『こころ』後半の先生の手紙などは、『坑夫』と同様、過去を回顧する視点から淡々と話が進む構造です。

同じように、『虞美人草』のエッセンスも、漱石の後期作品に見ていくことができます。

両作品の系譜はともに、その後の漱石作品へと引き継がれていったのです。

『坑夫』ー感想

・独特な雰囲気で印象深い小説

『坑夫』は、漱石の長編小説の中では、どちらかと言えば知名度は低い方かと思います。

発表当時に至っては、あまり評価も良くなかったようです。

しかし、解説でも触れた無性格論に関する記述のように、成程と思わされたり、はっとさせられる言葉や描写が多く、とても印象に残る作品だと私は思っています。

個人的に印象深く感じたのは、主人公の「自分」が銅山の町に到着した日、案内された飯場(坑夫達が共同生活を送る宿舎)で、偶然「ジャンボー」を目撃する場面です。

坑夫達が「ジャンボーだ。ジャンボ―だ」と囃すように見物する中、「自分」は「ジャンボ―」が何を指しているのか分かりません。

坑夫達は、飯場で臥せっている病気の坑夫を無理やり起こして、窓の外を「ジャンボ―」が通るのを見せたり、冗談のような酷い内容の会話をして笑います。

そして唐突に「自分」は、「ジャンボ―」の意味が、亡くなった坑夫を弔う葬式だと理解します。

坑夫達の日常の側にある死、冷酷で残酷な坑夫達の振る舞い——、話の展開を盛り上げるために作者が創造した場面というわけでもなく、起こった出来事そのものを淡々を綴っているからこそ、妙な現実感と恐ろしさを感じてぞっとしてしまいます。

まさに異色の、独特な雰囲気がある小説だと思える作品です。

以上、夏目漱石『坑夫』のあらすじ・解説・感想でした。

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yumihara

文学部出身の主婦です。文学の魅力が少しでも伝わるような、わかりやすい解説・感想を心がけていきたいです。