『かげろふの日記』あらすじ&解説!藤原道綱母『蜻蛉日記』との関係まで!

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『かげろふの日記』あらすじ&解説!藤原道綱母『蜻蛉日記』との関係まで!

『かげろふの日記』について

『かげろふの日記』は、堀辰雄が1937年に発表した小説です。

ジブリ映画の原作となった『風立ちぬ』で有名な堀辰雄は、古典文学を愛していました。

『かげろふの日記』は、平安中期に藤原道綱母が書いた『蜻蛉日記』を元に、堀辰雄らしさが散りばめられた作品です。

『かげろふの日記』のあらすじ

「私の人生も半分終わってしまって、毎日ぼんやりと本を読んだりして暮らしているけれど、こんな作りごとの多い本よりも、私の半生を書いたもののほうが面白いんじゃないかしら……。」

美人でもなければ特別な才能もない「私」は、父の紹介で藤原兼家と結婚します。

兼家にはすでに時姫という正妻がいました。

道綱という一人息子に恵まれた矢先、兼家との関係に暗雲が立ち込めます。兼家に、時姫と「私」以外の女性がいるようなのです。

「私」と兼家の、すれ違いの結婚生活が始まります。

兼家の言動に絶望したりあきらめたりしながらも、「私」はなお兼家を愛し、関係を断ち切ることができないでいるのでした。

『かげろふの日記』ー概要

物語の主人公
物語の重要人物 兼家(夫)、道綱(息子)
主な舞台 京都周辺
時代背景 平安時代
作者 堀辰雄

『かげろふの日記』の解説

・3つの『蜻蛉日記』

『かげろふの日記』は、平安時代中期に藤原道綱母が記した『蜻蛉日記』を元にした作品です。『蜻蛉日記』には、すれ違いの多い夫との結婚生活、一人息子の成長、養子に迎えた娘の結婚騒動などが、過去を回想する形で描かれています。

『蜻蛉日記』を下敷きにした作品として、もうひとつ、室生犀星が1958年に発表した中編小説『かげろふの日記遺文』が挙げられます。

堀辰雄の『かげろふの日記』も、室生犀星の『かげろふの日記遺文』も、単なる『蜻蛉日記』の現代語訳ではありません。素材が同じだからこそ、それぞれの作家らしさや作風が色濃くにじみ出ています。

・「私」の匿名性

『かげろふの日記』では、主人公「私」の本名は明かされません。

もちろん藤原道綱母の本名は不明ですので、正式な名前は誰にも記すことはできないのですが……。

しかし、室生犀星は主人公に、「紫苑の上」という名前を与えました。

「紫苑の上」は頭脳明晰で、冷たい美しさをもった女性です。

また、藤原道綱母は歌人として優れ、当時の3大美女だとされるほどの美貌を誇っていたことが、記録に残されています。

その一方で、堀辰雄は「私」に、美貌や才能を与えませんでした。

有名な「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」の和歌のくだりはありますが、それによって名声を得たというような表現はありません。

なぜ、堀辰雄は「私」に「私」以外を与えなかったのか。

それは、『かげろふの日記』が普遍的な愛の物語だからだと、私は思います。

新潮文庫『かげろふの日記・曠野』に収録されている丸岡明氏の解説には、『かげろふの日記』は、『風立ちぬ』のテーマを発展させた作品であると書かれています。

『風立ちぬ』で描かれた、若い男女の愛と生。その先の物語として、『かげろふの日記』には、子を成した夫婦のすれ違いや、愛が終わる予感が描かれています。

そして、この2作に共通するものは、『風立ちぬ』のエピグラフ「風立ちぬ、いざ生きめやも」に象徴される、これからも生きていくという覚悟です。

堀辰雄は、作品のテーマが普遍であることを表すために、「私」を「私」のままにしたのではないでしょうか。

954年頃に成立した『蜻蛉日記』は、日本の女性文学の先駆けだといわれています。

その『蜻蛉日記』の内容が、夫とのすれ違いや実家の家族の話、子どもたちの成長である点は、大変興味深いことです。

『蜻蛉日記』は女性文学の先駆けでありながら、今もなお多くの女性が一喜一憂している事柄が描かれているのです。

「私」が「私」以外の個性を獲得してしまうと、万人が感情移入できる主人公ではなくなってしまいます。

世の中の多くの女性が、絶世の美女ではなければ、類まれなる才女でもありません。

「私」の匿名性が強いのは、『風立ちぬ』のテーマはあなたにも私にも当てはまるのだ、という堀辰雄からのメッセージなのではないでしょうか。

・『蜻蛉日記』をふたつに分けた理由

じつは、『かげろふの日記』は『蜻蛉日記』のほんの一部でしかありません。

堀辰雄は『かげろふの日記』の続編として、『ほととぎす』を執筆しています。

『ほととぎす』は『蜻蛉日記』の後半、藤原道綱母が夫のほかの妻の娘を養子に迎える場面から始まります。

本来ならひとつであった物語を堀辰雄が分けたのは、『かげろふの日記』と『ほととぎす』では、扱われているテーマが異なるためです。

『かげろふの日記』は、先ほど述べたように『風立ちぬ』のテーマを発展させた物語です。

「かげろふ」には「蜻蛉(とんぼ)」の意味がありますが、とんぼの飛ぶさまから、はかなさを象徴する言葉でもあります。

『かげろふの日記』で描かれた、はかないものとは何か。

それは、夫との結婚生活であり、男女間の愛なのです。

一方の『ほととぎす』にも夫は登場しますが、内容の多くは子どもたちの物語であるため、父として、母としての関係なのです。

親子の関係は、男女の愛ほどはかなく、簡単に断ち切れるものではありません。

『かげろふの日記』の感想

・954年と1937年と2022年の「結婚あるある」

『かげろふの日記』を最初に読んだときに感じたのは、強い共感でした。

時代も違えば結婚の制度も違うはずなのに、自分の体験や、身近な誰かから聞いた悩みにぴったり当てはまるのです。

それは、「私」を匿名の存在にした堀辰雄の術に、見事にはまった証拠でもあります。

男女間であろうとなかろうと、結婚していようとしてなかろうと、誰かを愛した経験がある人なら、きっと『かげろふの日記』を身近に感じることができると思います。

また、『かげろふの日記』は友達の恋愛話を聞いているような作品です。

多くの人に当てはまるテーマでありながら、「そんな男のどこが良いの?」「なんでまだずるずる付き合ってるの?」という、他人の恋愛感情の「わからなさ」も味わうことができます。

・「私」は不幸だったのか

『蜻蛉日記』に描かれているのは、俗に言う「不幸な結婚」です。

夫からは都合の良いように思われている気がするし、ほかに愛人がいるようだし……。藤原道綱母の愛も、だんだんと冷めているように思えます。

しかし、『かげろふの日記』の「私」の結婚生活は、一概に不幸だとは言えないのではないでしょうか。

『かげろふの日記』は、「私」が帰っていく兼家の姿を「胸がしめつけられるような思いで」見送る場面で終わります。

なぜ、男女の関係が終わってしまったようにみえる今になってもなお、胸がしめつけられるのか。

それは、「私」がかつて夫を心から愛していたときの名残であり、わずかでも夫から愛された記憶であり、「私」が今も夫を愛している証であるのだと思います。

誰かをここまで強く愛し、断ち切れない思いを抱く人生は、「私」が冒頭で考えるように「作りごとばかりの物語」より面白く、身につまされるものです。夫を見送る「私」の姿に、私まで切なくなります。

この胸がしめつけられるような切なさを知っている人生は、けして不幸ではありません。


〈参考〉
・堀辰雄『かげろふの日記・曠野』新潮文庫,1986
・室生犀星『かげろふの日記遺文』講談社,1959
・藤原道綱母,室生犀星・訳『現代語訳 蜻蛉日記』岩波書店,2013