開高健『輝ける闇』紹介
『輝ける闇』は日本のヘミングウエイとも言われる故開高健さんの作品です。
彼は1.964年、34歳の若さでベトナム戦争に朝日新聞社の派遣員として南ベトナム政府軍、米軍合同軍に従軍しています。
その時にベトコン側の待ち伏せ攻撃に会い、部隊200人の内生存者17名という悲惨な体験をします。
作品には書かれてないのですが、開高さんも同行のカメラマンも死を覚悟して、遺影を撮り合ったという話がエッセイに載っています。
幸い二人とも生き永らえましたが、その時の体験や、ベトナムで見聞きした支配層の腐敗、農民層の貧困、フランスやアメリカの政策の矛盾、そんな中でも逞しく生きる人々の様子の他、中学生時代に経験した先の戦争時の経験、操車場で受けた米軍機からの機銃掃射体験等が基になっています。
開高氏と思われる主人公「私」がベトナム戦争を取材のため従軍し、ベトナムの情婦や米軍大尉、政府軍大佐、地元の知識人他との交流から戦争に対する考え方が深化します。
また、人間は昔から同じように戦争を繰り返し、進歩していないこと、それは主義主張や体制に関係ないことを痛感します。
やがて最前線に赴く決意を固め、決行しますが最後に上述した結果が待っています。
同氏の「闇3部作」の最初の作品であり、この作品は毎日出版文化賞を受賞しています。
『輝ける闇』あらすじ
「私」はベトナム戦争を取材のために、南ベトナム政府軍、米軍合同軍に従軍する。
米軍のウエイン大尉や軍医、政府軍のキェム大佐やベトナムの兵士との交流、情婦トーガや日本人特派員の通訳をしている兄チャン他との交流で、ベトナムの事情を理解していった。
合同軍の安全な場所は、地雷を埋め塹壕の掘られているエリアの内側のみである。
その外側に広がる水田はベトコン側も含めて農民が米を育てている。
商売人は米軍にも商品を売るが、情報はベトコンベ側に筒抜けだろう。
南ベトナム軍人と米軍人の格差も大きく、また米軍にとっては南ベトナム政府軍の兵士も信用ならない。
政府軍側から見れば、アメリカは大量のナパーム弾を用いて同胞を殺すが、スパイらしき者の拷問になると「散歩」と言って逃げ出す。
そんな統制の取れない状況である。
サイゴンでクーデターが発生したのではないかという情報を得て、私は一旦サイゴンに戻る。
日本の記者たちとの交流や情婦トーガとのひと時を楽しみ、安寧な日々を送っていた。
情婦トーガの兄は、サイゴン駐在日本人記者の有能な通訳であったが徴兵される。
彼は期限までさんざん悩んだ挙句に、自分の右指2本を切り落として入隊した。
理由は北側の捕虜になると知識人に対しての尋問が非常に厳しいので、それを避けるためであり、また、人を殺したくないとの理由による。
取材の間に読もうと買っていたマーク、トウエインの空想小説の内容「現代アメリカ人がアーサー王の顧問になり諸々の改革をするが、最後はアメリカ人からすれば思いもよらないことで信頼を失い、共倒れとなる」と、今のベトナムの情況がほとんど同じであることから、人間は進歩しないことをあらためて痛感する。
また、クエーカー教徒である老アメリカ人や、言論統制で活動できないベトナムの作家や大学教授、僧等との秘密裏の集会での交流で感化される。
2度の少年の公開処刑を見たことからも刺激を受け、危険を顧みず最前線に赴く決意を固めた。
その後は先述の通り、ベトコン側の待ち伏せ攻撃に会い200人の部隊が17人しか残らない悲惨な体験をし、戦場の緻密な描写がある。
『輝ける闇』概要
主人公 | 私、某新聞社の派遣員としてベトナム戦争を取材。米軍、南ベトナム政府軍合同軍に従軍する。妻子を日本に残している。 |
共演者1 | 従軍する米軍の大尉、ウエイン大尉。プロ意識と信念の人。 |
共演者2 | 南ベトナム軍の司令官、キェム大佐。当時のベトナム人将校らしく、自分の安全と利益を優先する人物。 |
共演者3 | 私の情婦、トーガ |
共演者4 | 情婦トーガの兄、チャン、別の日本人特派員の通訳、徴兵される。 |
舞台 | 北側(北ベトナム政府軍及びベトコン)と南側(南ベトナム政府及び米軍)が南ベトナムで戦っている。ベトコンは1.960年に結成された「南ベトナム解放民族戦線」で、反南ベトナム政府、民族統一を目指す。 |
『輝ける闇』解説
日本の敗戦からベトナム戦争の終結までの経緯
まず、この小説の舞台であるベトナムについて、日本の敗戦からベトナム戦争の終結までの経緯を確認しておきます。
フランスの植民地であったベトナムは先の戦争中、日本が占領中に独立を宣言します。
しかし旧宗主国フランスは利権の確保を目指し、日本の敗戦後、南に傀儡政権を樹立します。
北側(ベトナム民主共和国)は共産主義思想で団結しておりソ連の援助もある。
フランスとの戦争となり、ベトナムが勝利しましたが、今度はフランスに変わり、アメリカが軍事介入します。
アジアに共産主義が広がるのを防ぐためと言われますが、戦況の打開ができず、国内や世界からも反発が広がり1.973年に撤退。
その後北側が勝利し統一されます。また、1.960年には北側勢力として「南ベトナム民族解放戦線」通称、ベトコンが結成されています。
ベトナム戦争に従軍するまでの開高健さんの略歴
次に開高さんの略歴です。
1930年大阪生まれ、中学時代は戦時中で授業は無く、勤労動員で飛行場での雑用や国鉄操車場での雑用の毎日でした。
操車場では米軍機の機銃掃射を受けていますが、それは後の作品にも影響を与えていると思われます。
大阪市立大学在学中に校内文芸誌「市大文芸」に処女作「印象文芸」を発表。
1952年に詩人・牧羊子と結婚。長女出生、間もなく夫人と入れ替わりに現サントリーに入社。PR誌「洋酒天国」を創刊、編集長を務める。
そんな仕事の傍ら作家活動も続け、1958年28歳の時に「裸の王様」で芥川賞を受賞。
1964年34際の時に朝日新聞社の特派員としてベトナム戦争に従軍し、この『輝ける闇』は、その時の苛酷な経験を基にした作品です。
東欧やロシア、中国他外国の文壇関係者やサルトルらとの交流も深め、アマゾン川やアラスカの川でのドラド、ピラルク、キングサーモン等の釣りや狩猟、その他幅広い分野でのエッセイは有名です。
開高さんは極度な人見知りであり、他人との付き合いは苦手だから、制作に行き詰ると多くの人に会わずに済むルアーやフライフィッシングにのめり込んでいったようです。
やがて、持ち前の探求心からアウトドアが仕事にもなり「フィッシュ、オン」や「オーパ」の作品となっています。
『輝ける闇』は、『夏の闇』「花終わる闇」(未完成)とあわせて闇3部作と呼ばれますが、人間の、世界の闇の部分を深く探求しています。
3部とも完成の暁には全体を「漂えど沈まず」のタイトルを考えていたと言います。そのタイトルの意味は後に考察します。
開高さんの作品のテーマは「人間とは何か」であり、特に戦争について深く考察しています。
上述の通り、たまたま戦場に持ってきた1898年に出版されたマーク、トウエインの小説に、今も昔も変わらぬ人間の愚かさを痛感します。
現代アメリカ人がアーサー王の顧問になり、国内の改革に取り掛かる話です。
技術開発、士官学校の設立、民主主義教育、公衆衛生の観念の普及を進め、王の民情視察等により王の理解を得て力で封建制度を打倒する。
この後、株式市場を作るが、内紛が起こり、旧勢力はそれをアメリカ人顧問のせいだとして追い出しにかかる。
戦争になり顧問の側が勝利するが彼は偵察に出かけた際に刺されてしまった。
相手の魔法使いの言葉は「お前たちは相撲に勝って勝負に負けた」。そしてその魔法使いも有刺鉄線に触れ電撃死します。
ベトナム戦争でも最近のロシアによるウクライナ侵略でも、基本は同じでしょう。
国の指導者は「国民の生命と財産を守る」、「○○主義を守らなければならない」等の大義名分を掲げて戦争を仕掛けます。
「国民」は自国民であり、○〇主義も完璧ではありません。
本来なら「世界中の人」を護るべきであり、不完全な○○主義の押しつけは悲劇を生みます。
人間の発達には時間軸も必要であり、理解できないもの、規格の合わないものを押しつけられるのは迷惑でしょう。
そんな人間の世界の現状を、とにかく徹底的に掘り下げ、分析し発表する。それが作者の、開高さんの使命感なのだと考えます。
34歳の若さでベトナム戦争の取材を志願し、その後最前線の取材敢行を決意しますが、その理由は「あらすじ」の通りだと思います。
加えて中学生時代の戦時体験や、米軍機からの機銃掃射体験も影響しているのでしょう。
『輝ける闇』感想
作品の主題である「人間とは何か」「人間の愚かさ」
この本は、私がまだ40歳代の頃に一度チャレンジし、最初の数ページを読んで諦めた覚えがあります。
「この作品は、自分にはまだ重すぎる」が素直な感想でした。今古希を過ぎて、戦争のことや世界の問題についても客観的に、歴史や、世界での事例等を基に考えられるようになってきたと思います。
もう一度読んでみようと思いトライしましたが、今でもなかなか手ごわい作品です。
この作品の主題は、「人間とは何か」「人間の愚かさ」だと考えます。
そして、ベトナム戦争を舞台にしてそれらを考察している作品だと捉えています。
また、さらに開高さん「私」は安全な後方での取材でも事足りたのに、何故奥様も反対する命の保証のない最前線に赴く決断に至ったのかもテーマの一つだと思います。
まず戦争に対する見方です。
作品の中でも引用されているマークトウエインの小説が現代でもそのまま通用するように、人間は特に戦争、平和の面では進歩が見られません。
先の大戦終了後ベトナムが真に独立するまでに、数多くの戦争を繰り返しています。
フランスは旧宗主国の利権を護るため傀儡政権を樹立し、ソ連は自国の陣営に取り込むために軍事援助をする、傀儡政権は腐敗を繰り返し国民は貧しいままである。
やがてフランスに変わりアメリカが「共産主義からアジアを護る」との理由で参戦します。
「○○主義から国民を護る」の大義名分を掲げ、ウクライナを侵略するロシアの姿が浮かんできます。
いつになっても同じパターンで戦争を繰り返す人間の愚かさを痛感します。
次に開高さんが、死と隣り合わせの最前線迄赴く決心に至った理由です。
これは「あらすじ」他にも記した通りです。
繰り返しになりますが、中学生時代に受けた米軍機の機銃掃射体験、情婦トーガの兄が徴兵された時の対応や、クエーカー教徒である米国老人、ベトナムの僧や作家、知識人との交流、少年2名の公開処刑等ベトナムの現実が彼を突き動かしたのでしょう。
また、開高さんの繊細で何事も突き詰める性格から必然であったと思います。
最前線では、ベトコン側の待ち伏せ攻撃に会い、部隊200人の内生還者17名という悲惨な経験をします。
ただ、単なる事実の記述ではなく、真実、自分の思いを伝えるべく悩み抜いて選んだ文章は重みが違います。ぜひ実際に読んでみることをお勧めします。
タイトル「闇」の意味
読み進める中で浮かんできた疑問が、この本のタイトルです。
「闇」はわかりますが、頭が正反対の「輝ける」となっている理由がわかりません。
タイトルはその作品を象徴する一言ですから、徹底的に考え抜いたものだと思います。今現在の私見です。
『輝ける』については、まず舞台が熱帯のベトナムであること。
熱帯のジャングル、川、水田が拡がり鳥、虫、魚、獣が躍動し色とりどりの花が咲く。そんな中で人は働き、昼寝をし、祭りで心身を休め生きてゆく。
強烈な光の元で生命が輝いている(或いはそのはずである)。そのベトナム、輝ける場所で理不尽な戦争が人々を苦しめている。そんな情景を読んだものだと考えます。
開高さんはベトナム戦争の後半に、釣り竿を持参したといいます。
勿論最初は「恐る恐る」です。でも、その心配は無用で地元の人全員が歓迎してくれたということです。
戦争の中にも日常があるということでしょうし、何より日常の生活でありたいということだと思います。
また「輝ける』についてもう一点、これは自信がありませんが今現在の考えです。
国の指導者も軍人も大真面目に自己を正当化し、『輝いて』戦争に参加します。
国民も作家も同様で、ある人は作品のポイントは「使命」だと言いある人は「使命」と主張します。
勿論それは、進歩しない人間の誤りでもあり、各人各様のこともあります。
それでも、それぞれが「輝いて」生きています。それを「輝く」と言うのかとも思いますが、自信はありません。
『闇』3部作に予定されていた「漂えど沈まず」の意味についても、あれこれ考えていました。
どうやらラテン語で「少々船が揺れても沈むことはない」という意味のようで、ヨーロッパではよく使われるようです。
「あれこれと心配するな、生きてりゃいいのだ」と私なりに解釈しています。
阪神大震災の時に生まれた河島英五さんの歌「生きてりゃいいさ」も大好きな歌ですが、同じような意味だと感じます。
最後に、この作品を読んで一人の人間としての独り言です。
どの国の指導者も「国民の生命を護る」と言いますが指導者が護るのは自国民の命であり、相手国国民や人類全体の命ではありません。
共産主義は失敗しましたが、原因は人の心だとされています。
独裁政権での内部の腐敗、悪平等主義では向上心が出ない等です。人間の心はなかなか難しいものです。
多分、民主主義も不変で万人に通用する社会法則ではなく、技術も万能ではありません。
人類が地球という同じ船に乗っていることを自覚し、人類全体のことを考える、相手との共存を考える、慎みを持つことが肝要だと思います。
そんな世界が実現した時に、芸術は、文学はどんな姿になっているのか知りたいです。