『義血侠血』の紹介
『義血侠血』は、泉鏡花が明治27年(1894年)に「讀賣新聞」で連載、発表した中編小説で、「観念小説」の代表作のひとつです。
現実社会に対して作者が抱いている不審や不満といった問題点を主題とした作品が「観念小説」で、鏡花の初期作品では、この『義血侠血』のほかに『外科室』などが「観念小説」に分類されます。
ここでは、そんな『義血侠血』のあらすじ・解説・感想をまとめました。
『義血侠血』─あらすじ
水芸の太夫・滝の白糸が乗った乗合馬車が、数人がかりの人力車に追い抜かれてしまう。
乗客たちは酒代を集めて人力車を抜けと馭者を煽り立てる。
馭者は馬を解き放つと、破格の酒代を出した白糸だけを抱えて単騎で人力車を追い抜き、驚きで気を失った白糸を建場の茶屋に預けて立ち去った。
白糸は、夜の河原で馭者と再会する。
馭者は村越欣弥といい、白糸に問われるがまま、追い抜きが原因で会社を辞めさせられ、職が見つからない、学問を続けたいのにと話した。
話を聞いた白糸は、東京で勉強するための仕送りをすることを申し出る。
驚いた欣弥だが、欣弥を立派な人物にしたいという白糸の言葉を真実と見て、申し出を受けた。
それから三年、仕送りを続けていた白糸だが、仕送りのために前借りした百円を出刃打ちの一座に強奪されてしまう。
白糸は金持ちの家に押し入り、主人夫婦を刺し殺して金を奪った。
犯人は出刃打ちとされ、証人として出廷した白糸は、検事代理として赴任してきた欣弥と法廷で再会する。
欣弥の追求に、白糸は自分の罪を素直に白状して死刑の判決を受けた。
判決の日、欣弥は自殺した。
『義血侠血』─概要
主人公 | 滝の白糸(水島友) |
重要人物 | 村越欣弥 |
主な舞台 | 金沢市 |
時代背景 | 不明 |
作者 | 泉鏡花 |
『義血侠血』─解説(考察)
・「観念小説」としての『義血侠血』
「実社会の矛盾・暗黒面に対する作者の観念を問題意識として提出した小説」(『デジタル大辞泉』より)が「観念小説」であり、明治20年代末期(日清戦争直後)に流行しました。
『義血侠血』で提出されているのは、どのような「観念」でしょうか。
白糸は欣弥に仕送りを申し出たとき、「報恩」として「ただ他人らしくなく、生涯親類のようにして暮らしたいと言うんでさね」と望みを言い、欣弥は「けっしてもう他人ではない」と応えます。
こうして「渠らは無言の数秒の間に不能語、不可説なる至微至妙の霊語を交え」て「十年語りて尽くすべからざる心底の磅は、実にこの瞬息において神会黙契されけるなり」というほどの約束を交わしました。
白糸は欣弥が「りっぱな人物」になるまで支えることを、欣弥は「もう他人ではない」ことを約束したのです。
結果として、白糸はこの約束を守るために強盗殺人という罪を犯して死刑を宣告され、欣弥は白糸を殺人犯として起訴したために生涯ともに暮らすという約束を守れなくなります。
「約束」の重みとは、それほどまでのものなのか。
人を殺したり、自分のために罪を犯した恩人を告発したり、結局は自身の人生をも閉ざしてまで守らねばならないのが「約束」というものなのかという問題提起が、この小説を「観念小説」たらしめているのです。
・白糸にとっての「約束」
水芸の太夫として、その年頃の女性にしては大金を稼いでいた白糸ですが、十を稼いだら二十を使う勢いで、自分の楽しみのためだけにお金を使っていました。
しかし、欣弥への仕送りや、その母を養うため、白糸の金銭感覚は180度の転換を余儀なくされ、「勤倹小心の婦人となり」ました。
売れっ子の芸人とはいえ、水芸がもてはやされるのは夏ばかりです。
二年までは何とかなっても、三年目には興行料の前借りをしなければ、生活が立ち行かなくなりました。
そうして手に入れた百円を暴力によって奪われた白糸は、無念から身投げをしようとするほど、「約束」に縛られていました。
彼女にとって、欣弥との「約束」は自分の生命よりも重かったのでしょう。
そんな白糸ですが、強盗が残していった証拠を二点入手し、これを手がかりに訴えて金を取り戻せるのでは、と死ぬのを思いとどまります。
けれど、金持ちの居宅に迷い込んだ白糸は、正規の方法で金を取り戻すのではなく、「盗というなる金策の手段」があることに気づいてしまいました。
強盗殺人を犯して「約束」のための金を手にした白糸は、「自分は金を奪われていない」と主張して、強盗事件との関係を否定します。
強盗殺人の犯人として逮捕されれば、仕送りができなくなり、欣弥との「約束」を果たせなくなるという単純な考えだったのでしょう。
このときの白糸には、罪の意識などありません。
彼女にとっては、「約束」を守ることこそが正義であり、そのために他者を害することなど些細な事柄になっていたのです。
そして、白糸は、証人として出廷した法廷で検事代理となった村越欣弥に再会します。
欣弥に尋問された白糸が「真実を申しましょう」と決めたのは、欣弥が「りっぱな人物」になっていたからです。
自分が「約束」を守りきったことを、自らの罪を明らかにすることで欣弥に示したのです。
白糸は最後まで、自分が犯した罪について省みることはなかったでしょう。
彼女にとっての「約束」は、善悪や生死の垣根を軽々と飛び越えるだけの力を持っていたのです。
・村越欣弥にとっての「約束」
ただ一度、馬に合い乗りしただけの相手から仕送りを申し出られた時の欣弥の気持ちは、どのようなものだったでしょうか。
欣弥からしてみれば、学も無く、河原で小屋を打っているような芸人に仕送られることは屈辱でさえあったかもしれません。
しかし、そんな感情をはねのけるだけの真摯な想いを、欣弥は白糸から感じ取ったのです。
白糸は「内君にしてくれと言うんじゃなし」と言っていますが、代案にされたのは「生涯親類のようにして暮らしたい」という、考えようによっては結婚するよりも重い縁でした。
白糸の望みが「結婚」であったら、「約束」としての重みはもっと軽いものだったでしょう。
白糸のほうも「村越友として経営苦労し」たとしても、途中で投げ出していた可能性があります。
二人がお互いの「約束」を破らなかったのは、切っても切れない「親類のよう」な血のつながりを約したからなのです。
金沢に来るまでの馬車の車中で、自分が検事代理として出廷する法廷での事件について知った欣弥は、事件と白糸との関わり──すなわち、真犯人は白糸であるということを確信したと思われます。
欣弥にしてみれば、故郷に錦を飾り、白糸と生涯ともに暮らすために帰ってきたのに、肝腎の相手が犯罪者であると知らされたことになります。
法廷で白糸に再会するまで、自分がどうするべきか、悩んでいたことでしょう。
再会した白糸は、欣弥が知っている「闊達豪放の女丈夫」ではなく、憔悴した憐れな姿でした。
私よりも公を重んじた欣弥は、そのような姿になった恩人に対して容赦なく質問を浴びせます。
自分は「約束」を守って、ここまでの人物になったのだということを白糸に知らせるためには、それが最適の方法であり、二人にとって納得のいくやり取りだというのが欣弥の判断でした。
その心意気に応えた結果、白糸は死刑判決を宣告されました。
白糸が死んでしまえば、「生涯親類のようにして暮らしたい」という「報恩」ができなくなります。
欣弥は「約束」を守れなくなった自らを憂いて自殺しました。
法廷で詰問していたときから、欣弥にはこの覚悟があったのでしょう。
それが彼にとって唯一の「約束」を守る方法だったからです。
・二人の「約束」
「約束」は大切なものです。
白糸も欣弥も、自分の生命や人としての道よりも「約束」に重きを置いて行動しました。
育ちも立場も違う二人が、いずれも「約束」のために人生をなげうち、死んでいったことについて、作者は疑問を抱きます。
二人がとった行動は正しかったのか、と読者に疑問を投げかけたのです。
作者自身の考えは、罪を告白したときの「白糸の愁わしかりし眼はにわかに清く輝き」や、尋問する「欣弥の声音は(中略)その異常なるを聞き得たりしなり」という表現に表れています。
読者が、それらの表現から二人の気持ちをどのように読み取るかによって、答えは違ってくるでしょう。
正しい答えが出てくる問題ではありません。
作者の「観念」について、読者一人一人が考えを巡らせることこそ、「観念小説」の受け止め方に他ならないからです。
『義血侠血』─感想
・悲恋物語としての『義血侠血』
『義血侠血』は『滝の白糸』のタイトルで、新派の代表的狂言となったほか、何度か映画化もされています。
また、舞台となった金沢市の浅野川河畔には「滝の白糸像」が建立されていて、観光スポットにもなっており、今に至るまで人気のある作品であることが解ります。
これほどの人気があるのは、この物語が「悲恋の物語」として捉えられているからでしょう。
強盗殺人を犯してでも欣弥に尽くそうとする白糸、そんな白糸を公的な立場で告発しながらも結局は自殺してしまう欣弥、そんな二人の想いが人々の心の琴線に触れるのかもしれません。
新派の舞台では、自白した白糸が舌を噛んで自殺し、欣弥がピストル自殺で後を追うという、悲しみをそそる筋立てになっているので、よけいに「悲恋」のイメージが強くなっています。
原作では、二人が知り合うきっかけになった乗合馬車と人力車の争いや、再会して約束を交わし、袂を分かつまでの会話に多くの紙数が割かれています。
恋愛めいた表現こそ際だってはいませんが、硬い表現や大雑把な話し言葉であるにも関わらず、仕草や会話の端々から二人の気持ちが伝わってきて、この時代ならではの恋物語らしく読むことができました。
私は、「涼しき眼とりりしき眼とは、無量の意を含みて相合えり」という表現が、とくに好きです。
言葉がなくても、お互いの想いを確信できるなど、極上の告白シーンではないでしょうか。
・『義血侠血』における「血」
『義血侠血』には幾つか見るべきシーンがありますが、異彩を放っているのは、白糸が強盗殺人を犯すシーンだと思います。
白糸の一人目の殺人は、本人も夢中のうちに為してしまったもので、描写も詳しくはありません。
しかし、二人目の殺人は、確実に意思を持った殺人でした。
そのシーンでは、殺す相手との立ち回りはもちろん、どのように斫りつけたか、どれぐらい血が流れたかといったことが細かに描写されています。
ここで「血を流す」という具体的な描写が必要だったのだろうと、私は思いました。
血は流れなければならなかったのです。
題名の『義血侠血』にある「義血」とは「物事の道理を重んじ、人のために尽くす精神」(『精選版 日本国語大辞典』より)のことです。
白糸の体内には、間違いなく「義血」がありました。
けれど、「生まれてよりいまだかばかりおびただしき血汐を見ざりき」というほどの血を自らの手で流すことで、白糸の中にあった「物事の道理を重んじ」の部分が押し流されたのでは、と思うのです。
「約束」のために血を流さねばならなかった白糸。
「義血」という「血」を流してでも「約束」を守りぬいたということを表したのが、この二人目の殺人シーンなのではないか、と私は感じています。
以上、『義血侠血』のあらすじ、考察、感想でした。