『文鳥』の紹介
『吾輩は猫である』、『こころ』などの長編小説で有名な夏目漱石ですが、実は短編作品もいくつか世に残しています。
『文鳥』は、明治41年に発表された夏目漱石の短編小説。稿用紙25枚程の短編ながら、白文鳥の可憐で繊細な描写が印象深い作品です。
ここでは、そんな『文鳥』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
『文鳥』ーあらすじ
三重吉に勧められて、自分は文鳥を飼うことにした。
縁側で千代々々と鳴く文鳥を眺める内に、自分は不図、美しい女のことを思い出す。
昔、この女が机に凭れている所を、後ろから、紫の帯上げの房になった先を垂らして、頸筋を撫でたことがあった。
女の眉は心持八の字に寄っていたが、目尻と口元には笑が萌していた。
自分がこのいたずらをしたのは、女が他家に嫁ぐ事が極った二三日後である。
初めは文鳥の世話をしていた自分だが、一度家人が世話をしてからは、何だか責任が軽くなったような心持がし、只文鳥の声を聞くだけが役目の様に感じ始める。
次第に自分は小説の執筆が忙しくなり、文鳥は能く忘れられるようになる。
ある日、帰宅した自分が縁側に出ると、文鳥は籠の底に反っ繰り返って死んでいた。
餌壺は粟の殻ばかりで、水入は涸れていた。
自分は「家人が餌を遣らないから、文鳥は死んでしまった。たのみもせぬものを籠へ入れて、餌を遣る義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」と三重吉へ端書を出した。
三重吉からの返信には、文鳥は可哀想な事を致しましたとあるばかりで家人が悪いとも残酷だとも一向書いてなかった。
『文鳥』ー概要
物語の主人公 | 自分 |
物語の重要なもの | 文鳥 |
主な舞台 | 東京(早稲田) |
時代背景 | 明治時代 |
作者 | 夏目漱石 |
『文鳥』―解説(考察)
・小品というジャンル
『文鳥』は、「小品」というジャンルに属する作品です。
小品とは、明治の日本の文壇に流行した、短い散文形態を指します。
随筆や散文詩風の作品、短編小説に近い作品まで、内容は多岐に渡り、非常に自由で曖昧な領域にあるジャンルです。
漱石の小品としては、他に、『夢十夜』、『永日小品』、『手紙』などの作品が挙げられます。
その中でも、作者の日常を切り取った随筆のようでありつつ、文鳥の可憐で繊細な描写、そこから回顧される「美しい女」など、奥行のある小説の要素も持つ『文鳥』は、小品というジャンルの特徴をよく表した作品と言えるでしょう。
そして、日本近代文学を専門とした東京大学名誉教授三好行雄氏は、漱石の小品群について、「比喩としてなら、漱石の〈私小説〉と呼んでよいかもしれない」と述べています。(※新潮文庫『文鳥・夢十夜』解説より)
私小説とは、作者自身を主人公に置き、作者が直接経験した事柄を題材に、ほぼそのまま書かれた小説を指します。
『文鳥』は、まさに漱石の実生活が下地となって執筆された作品であり、限りなく私小説に近い作品だと考えられます。
漱石の実生活と『文鳥』の関連性については、次項で考察を進めたいと思います。
・漱石の実生活との関連
漱石の実生活と『文鳥』の関連性として、以下の二点を挙げることができます。
- 実在する人物名の登場
- 漱石が文鳥を飼っていた記録
順に解説をしていきます。
まず、『文鳥』には、三人の実在する人物名が登場しています。
一人目が自分に文鳥を飼うことを勧めてきた「三重吉」、二人目が三重吉と一緒に文鳥を連れてきた「豊隆」、三人目が裏庭の公札の表書きをした「筆子」です。
三重吉は、漱石の門下生で小説家の「鈴木三重吉」であると考えられています。
作中では、「文鳥は三重吉の小説に出て来る位だから奇麗な鳥に違なかろう」という表現がありますが、ここでの「三重吉の小説」とは、明治40年の鈴木三重吉の小説『鳥』(※旧題は『三月七日』)だと考えられます。
次に、豊隆は、漱石の門下生で評論家の「小宮豊隆」であると考えられています。
ちなみに小宮豊隆は、明治41年の夏目漱石の小説『三四郎』の主人公・小川三四郎のモデルとも言われています。
三人目の筆子について、漱石は鏡子夫人との間に二男五女の子供がいますが、夏目家の長女の名前は「筆子」です。
また、漱石の二男・夏目伸六の随筆『父・夏目漱石』には、漱石が鈴木三重吉に勧められて文鳥を飼い、餌をやるのを忘れて死なせてしまったエピソードが記録されています。
いずれにしろ、この日帰宅した父の傍に、偶然居合わせた一番上の姉の口から、その時鳥籠の前に立ち止ってしばらく死んだ文鳥を眺めていた父の眼に、涙らしい光るものが溜って、それが一筋すうっと痘痕だらけの頬の上を伝って流れたという話を、私は後になって、二度か三度聞いたことがある。
夏目伸六『父・夏目漱石』(「文鳥」),文春文庫,1991年初版,55頁
そして、東京都新宿区早稲田の漱石山房記念館の敷地内には、猫塚という供養塔が今も残っていますが、これは夏目家で飼われていた動物を供養するために造られた石塔です。
猫塚の名前の通り、『吾輩は猫である』の「吾輩」のモデルとなった猫が供養されている他、漱石が飼っていた文鳥も、ここで供養されています。
これについては、夏目伸六の同随筆「猫の墓」の章で記録されています。
確かに、この石塔は、私の母が、初代の猫を弔うために建てたのだけれど、実際を云うと、この猫だけを供養する積りで建てた訳ではないのである。というのも、今でこそ、戦火に焼かれて、その石面は、見分けのつかぬほどに焼けただれてはいるけれどもは、以前は、台石の表面に、猫をはさんで、犬と文鳥の三つの像が、仲良く並んで刻み込まれていたのである。
犬というのは、近所の家の池にはまって、死んでいた吾が家の飼犬であり、文鳥の方は、飼って間もなく、家人の不注意から、餌を忘れて殺してしまった、哀れな父の飼鳥である。
夏目伸六『父・夏目漱石』(「猫の墓」),文春文庫,1991年初版,198~199頁
これらの記録に裏打ちされるように、『文鳥』は、漱石の実体験に基づいた作品であるということが分かります。
・「美しい女」のモデル
『文鳥』の主人公である自分は、小さくて可憐な文鳥の姿に、昔の「美しい女」の姿を回想しています。
この「美しい女」のモデルについては、先行研究で様々な推測がなされてきました。
「美しい女」を、漱石の実母がモデルと見る説、具体的な人物のモデルはなく、死によってはじめて触れることができるようになった女たちだと見る説など、数々の推測がある中で、ここでは「日根野れん」という女性に注目し、考察を進めていきたいと思います。
「美しい女」のモデル = 日根野れん
日根野れんは、漱石の一歳年上の幼馴染の女性です。
慶応3年、父・夏目直克、母・千枝の五男として生まれた漱石(本名:金之助)は、生まれてすぐに里子に出されました。
その後一旦は実家に戻された金之助ですが、一歳の時には実父の友人である塩原昌之助・やす夫婦の元に養子に出されています。
明治7年、金之助が七歳の時、養父の塩原昌之助が、未亡人の日根野かつという女性の家に通うようになり、やがて昌之助は日根野かつと、その連れ子・日根野れんを家に入れます。
結局、金之助が九歳の時に塩原夫婦は離婚し、金之助は実家の夏目家に戻ることになりますが、この間(明治7年~明治9年)金之助は、れんと同じ家で暮らし、同じ小学校に通っていたものと思われます。
金之助が実家に戻った後、昌之助は将来の金之助からの生活費援助を見込んで、金之助とれんを結婚させようと考えていたようですが、これは実現せず、明治19年にれんは陸軍中尉の平岡周造と結婚しました。
一説によると、日根野れんは漱石の初恋の人とも言われる人物です。(※石川悌二説より)
そして『文鳥』は、日根野れんの死後十日程経ってから連載が始まった小説です。
日根野れんがかつて漱石が想いを寄せていた人物だと推定した時、『文鳥』はれんの追悼小説だと見る解釈もできるでしょう。
また、『文鳥』後半部分で「例の件」という記述が四カ所見られます。
自分はこの朝、三重吉から例の件で某所まで来てくれと云う手紙を受取った。(中略)
三重吉に逢ってみると例の件が色々長くなって、一所に午飯を食う。(中略)
翌日眼が覚めるや否や、すぐ例の件を思いだした。いくら当人が承知だって、そんな所へ嫁に遣るのは行末よくあるまい、まだ子供だから何処へでも行けと云われる所へ行く気になるんだろう。一旦行けば無暗に出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸に陥って行く者が沢山ある。などと考えて楊枝を使って、朝飯を済まして又例の件を片附けに出掛けて行った。夏目漱石『文鳥・夢十夜』,新潮文庫,1976年初版,24頁
「例の件」を片付けに外出して帰宅した自分が死んだ文鳥を発見して、作品は結末を迎えますが、この「例の件」は、読んでいて非常に唐突な印象を受ける記述です。
『文鳥』が、単純に人間の残酷さや無責任さ、あるいは喪失感を描いた作品だとするならば、わざわざ記す必要性はないように感じられます。
平岡周造と結婚した日根野れんがどのような生活を送ったのか、死因は何であったのか、詳細は分かりませんでした。
しかし、わざわざ記された「例の件」の内容を踏まえると、かつては親の都合で漱石との結婚を望まれ、最終的には夏目家よりも裕福な陸軍中尉のもとに嫁いだ日根野れんへの同情心のようなものが作品執筆の背景にあったのではないかと思われます。
「籠の中の鳥」という言葉がありますが、籠の中の美しい文鳥は、親の都合によって結婚相手を決められ、人生を縛られていた初恋の美しい人をそのまま写し出していたのではないでしょうか。
今回、日根野れんという人物に焦点を当ててみましたが、「美しい女」のモデルや、漱石の初恋の人については諸説あり、様々な解釈が可能です。
このように、短編作でありながら、いくつもの読みを考えられるところが、『文鳥』の面白さの一つでもあると感じています。
『文鳥』ー感想
・漱石は文鳥を愛していたのか?
個人的な話ですが、実は私も文鳥を飼っています。
愛鳥を愛でるばかりでは飽き足らず、各地の鳥カフェや各種小鳥雑貨フェアに赴き、ありとあらゆる文鳥グッズを収集する文鳥オタクです。
夏目漱石の『文鳥』を読んだのも、文鳥が登場する小説があると知り、文鳥を愛する者として押さえておかねばとオタク魂に火がついたのがきっかけです。
文鳥のリアルで可愛らしい表現に、愛鳥の姿が重なってほっこりしていたのも束の間、世話を忘れて文鳥が死ぬという結末に大ダメージを受けた超衝撃作品が『文鳥』でした。
したがって以下は、ただの一文鳥愛好家としての感想です。
『文鳥』に登場する文鳥は、とても可哀想な扱いを受けていたと思いますし、世話を忘れて殺してしまった飼い主には許すまじという思いが湧き上がってなりません。
しかし一方で、作中の表現からは、漱石の文鳥へ向けた愛情や関心が確かに読み取れるようにも思うのです。
作中で描かれる文鳥の見た目や仕草は、文鳥の可愛いポイントをよく捉えていますし、文鳥好きでなければ、このような表現はできないと思います。
実際、『父・夏目漱石』の記録にもあるように、漱石は死んだ文鳥を見て涙を流しています。
この涙が、文鳥に対する純粋な愛情故か、自身の無責任さに対する罪の意識故かは分かりませんが、文鳥を大事にしていた気持ちが根底になければ、涙は流れないでしょう。
『文鳥』は、あくまで漱石の実体験に基づく小説であり、私小説とノンフィクションは似て非なるものなのです。
作中では、わりと可哀想な扱いしか受けていない文鳥ですが、実際にはもう少し丁重に大事に扱われていたと、そう願いたいばかりです。
以上、夏目漱石『文鳥』のあらすじ・解説・感想でした。