『脂肪のかたまり』あらすじ&作品背景の普仏戦争までを解説

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『脂肪のかたまり』あらすじ&作品背景の普仏戦争までを解説

『脂肪のかたまり』の紹介

『脂肪のかたまり』はモーパッサンが1880年に発表した短編小説です。

この作品は普仏戦争期のフランスを舞台に、人間の醜いエゴイズムをこれでもかと描き出しています。

ここでは、作家モーパッサンの出世作である『脂肪のかたまり』について、あらすじ・解説・感想までをまとめました。

『脂肪のかたまり』―あらすじ

北フランスに位置するルアン市では、フランス兵が敗走し、プロシャ軍がまもなく入城すると噂されていました。

生活が停まってしまった街には、フランス軍撤退の翌日に本当にプロシャ兵達が入ってきます。

侵略と略奪に怯える街の人々ですが、それでもしばらくすると状況に慣れ、「占領された街」の空気が馴染んでいきました。

厳しい支配の中でも商売をしたい人々、あるいはそこからなんとかして逃げだそうともくろむ人々は、プロシャ将校に取り入って港町へ赴く許可証を得ます。

乗合馬車が手配され、10人のフランス人が乗り込みました。

寒い季節で、馬車の中で人々は寄り添って座っています。

金持ちの男性達とその夫人達、修道女などです。

その中に「ブール・ド・シュイフ(脂肪のかたまり)」と呼ばれる娼婦がいました。

誰もが空腹を感じて来た頃、彼女はおもむろに食べ物と酒を取り出し、「一緒に食事をしませんか」と周囲の人々を誘います。

娼婦を嘲るような態度を見せていた男達、夫人達は、たちまち彼女の厚意に甘えました。

戦争の話を始め、彼らは会話に花を咲かせます。

十一時間も走ったころ、馬車はプロシャ兵のいるホテルの前で停められました。

兵士は乗客達の翌朝の出発を許可しないと言い出します。

ブール・ド・シュイフがドイツ人将校に身体を許さなければ、彼らはこの宿を出ることが出来ない…そう気付いた乗客達は、口々に彼女を説得し始めます。

その内容は、明らかに娼婦を見下す内容で、宿の亭主までもがそれに加担しました。

次の朝、馬車は無事馬を繋いで旅路に戻ることが出来ました。

他の人々はどことなく彼女に対してよそよそしく、食べ物を分け合った時のような温かい仲間意識は消え失せていました。

乗客の一人が口笛で吹くラ・マルセイエーズの合間に、彼女の静かなすすり泣きが響いていました。

『脂肪のかたまり』―概要

主な舞台 北フランス
時代背景 普仏戦争期
作者 モーパッサン
*普仏戦争 統一国家となる以前のドイツにて、プロイセン王国宰相のビスマルクは、フランスとの戦争で統一国家建設に弾みをつけたいと考えました。彼はスペインの王位継承問題について故意にフランスを侮辱、当時のフランス皇帝ナポレオン三世はこれに激怒します。そうして1870年7月19日に宣戦が布告されました。プロシャ軍は軍事力で大きく勝っており、当初の予想に反して容易にフランスを追い詰め、ナポレオン三世を捕らえます。こうして1871年1月5日には、フランクフルト条約(フランスの国土の一部を割譲、フランスからプロイセンへ50億フランもの賠償金の支払い)を締結しました。

『脂肪のかたまり』―解説(考察)

従軍するモーパッサン

『脂肪のかたまり』を書いたモーパッサンは、この作品の背景にある普仏戦争に従軍していました。

1870年8月ごろから、ルアン東方の森で志願兵として軍経理の仕事に就いていたとされます。

プロシャ軍は1870年12月にルアンに入城、彼を含むフランス兵は敗走し、港町へ向かいました。

作品に登場する地名やフランス敗走の描写は、20歳当時の作家が自ら体験した敗戦に基づいているのです。

モーパッサンはこのとき以降、徹底的な反戦主義の立場を取りました。

『脂肪のかたまり』以外にも『フィフィ嬢』『二人の友』『決闘』などの作品はノルマンディー地方を舞台としていますが、いずれもプロシャ軍に占領された状況が背景にあります。

「われわれは戦争をこの目で見た。(中略)法が消滅し、法律が死に、正義にかかわるあらゆる概念が消えてしまうと、道路上でおびえていたにすぎないのに、それが怪しまれて、罪もない人間が銃殺されるのを見たことがあるのだ。」

『脂肪のかたまり』,モーパッサン著,高山鉄男訳,岩波文庫,あとがきp102

戦争の愚かさや残酷さ、人が人でなくなっていくさまを目の当たりにした彼は、作品を通じてそれを伝えようとしました。

エゴイズム

この作品の中心には、戦争の他に、人間のエゴイズムがあります。

乗合馬車の乗客達はブール・ド・シュイフの優しさに甘え、その利用価値がなくなった途端に切り捨てる冷酷さを見せています。

宿屋に着く前の車内では、彼女の食べ物を囲んで、皆プロシャ軍への怒りや恨みを口にしていました。

そして彼女の反プロシャ兵の精神に、敬意すら抱いていたのです。

「「わたし、最初に来た奴の喉もとに飛びついてやりました。あいつらを絞め殺すなんて造作もないんですよ。わたしの髪の毛を手につかんで、引き離す奴がいなけりゃ、あいつらを片づけてやったでしょうよ。そんなことがあって、身を隠さなければなりませんでした。いい機会があったので逃げ出して、今ここにいるってわけですの。」みんなは、女のしたことを大いに称賛した。ほかの乗客たちは、彼女ほど勇敢でなかったので、女にたいする大きな尊敬の気持ちが湧いてきた。」

『脂肪のかたまり』,モーパッサン著,高山鉄男訳,岩波文庫,p37

しかし、宿屋で留められたとき、一気に彼女を娼婦として軽蔑し始めます。特に夫人達は自らを守るため、彼女を貶めるのです。

「「だって、おかしいじゃありませんか。ルアンじゃ、相手かまわず客をとっていたんだから。(中略)……あの士官のやり方は立派だと思いますわ。きっと長いこと不自由しているんでしょうね。できればわたしたちとのほうがよかったんでしょうが、誰でも相手にする女で我慢しようってわけです。人妻には遠慮して手を出さないのです。考えてもみてください。あの士官は支配者なんですからね。『そうしろ』とさえ言えば、兵隊に命じて、わたしたちを力ずくでものにすることだってできるんですよ」」

『脂肪のかたまり』,モーパッサン著,高山鉄男訳,岩波文庫,p70

この発言に、モーパッサンの登場人物達への皮肉が詰まっているようです。

下世話な話で盛り上がりつつ、なんとかして自分達だけは助かろうとする、そんな彼らの浅ましさ、愚かさがよくあらわれています。

彼らが守りたかったのは自分の利益やプライドだけであり、それらを前に愛国心や道徳心は置き去りにされてしまうのです。

『脂肪のかたまり』―感想

モーパッサンは、30歳のとき、この作品を『メダンの夕べ』で発表しました。これは複数人の作家が集まって作られた短編小説集であり、エミール・ゾラによる『水車小屋の襲撃』やユイスマンスの『背嚢を背負って』、セアールの『瀉血』といった作品と共に本作もおさめられています。

これらは全て普仏戦争を背景とした作品であり、戦争が巻き起こす様々な悲喜劇を描いているのです。

メダンはゾラの別荘があった土地でした。近代日本文学で言うところの木曜会のようなもので、ゾラを慕う若い作家たちが集ったのがこの場所です。

『メダンの夕べ』はゾラが戦争を題材にすることを発案し、『脂肪のかたまり』はその中でも抜きん出て高評価を得ました。

モーパッサンの師はフロベールですが、彼もまた、この作品を絶賛した一人です。

フロベールはちょうどこの年(1880年)に亡くなってしまいますが、それはまるで、弟子が自ら選んだ場所で名声を得たことに満足したかのようです。

反戦をテーマにした作品は世の中に数多く存在しますが、短篇で、ここまで明快に描ききった本作は非常に秀逸なものだと思います。

そして、名だたる先輩作家達に見守られるようにして、この名作は今日まで評価されてきました。

逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』やスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、こうの史代『この世界の片隅に』など、女性目線での戦争文学・作品が話題となっている昨今、改めて女性主人公の戦争物語として、今読んでおきたい作品の一つではないでしょうか。

以上、『脂肪のかたまり』のあらすじ、考察、感想でした。

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vanit

フランス文学を学んでいる学生です。生まれたときから本に触れて育ってきました。高校生の時から中原中也が大好きです。フランス文学を専攻したのも、もとはその趣味が高じたようなものでした。現在は様々な作品に魅了され、特に19世紀のフランス文学に強い関心を持っています。実際の社会情勢に影響を受けていたり、当時の人々の生活が垣間見えるような作品に惹かれます。読書の他には、映画鑑賞も大好きです。フランスではゴダール監督の映画を、日本のものでは市川崑監督の映画をよく観ています。世の中には本当に沢山の作品があり、その一つ一つに作者の思いが込められています。その一部を分かりやすく、魅力的に感じてもらえるような記事を書きたいです。