『一房の葡萄』について
『一房の葡萄』は、有島武郎が1920年(大正9年)に児童文学雑誌『赤い鳥』で発表した短編小説です。
『或る女』『カインの末裔』などの作品で知られる作者による、初めての創作童話となりました。
以下に、そのあらすじと解説・感想をまとめます。
『一房の葡萄』のあらすじ
絵を描くことが好きな子どもだった主人公の「僕」は、横浜の山の手にある、西洋人ばかりの学校へ通っていました。
綺麗な海の景色を上手に描けないことに葛藤していた僕は、友達のジムが持っている美しい西洋の絵の具をふと思い出します。
その羨ましさはしだいに募り、ついに僕はどきどきしながらジムの絵の具を盗んでしまいました。
しかしすぐに級友たちに呼び出され、問い詰められたあげくに、盗んだ絵の具を見つかってしまうのです。
級友たちは、僕を受け持ちの若い女の先生のところへ連れていきます。
僕の大好きな優しい先生は、僕一人を部屋に残して、静かに「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか」と聞きました。
涙の止まらない僕に、先生は一房の葡萄を渡してなぐさめます。
翌日、暗い気持ちで学校へ行くと、ジムがなぜか、僕に親切に接してくれます。
訳の分からない僕に、先生はにこにこして「二人はこれからいいお友達になれば良い」と言い、一房の葡萄を取ると、今度はジムと僕に半分ずつに分けてくれたのでした。
紫の葡萄を載せた、大理石のように白く美しい先生の手。
優しかった先生のことを、大人になった僕は今でも恋しく思い返します。
『一房の葡萄』ー概要
物語の主人公 | 僕:絵を描くことが好き。臆病な性格で、西洋人ばかりの級友たちに引け目を感じている。 |
物語の重要人物 | ジム:僕より2つ年上の友達。ある日僕は、ジムの絵の具が羨ましくなり盗んでしまう。 女の先生:ジムの絵の具を盗んだ僕に、静かに問いかける。泣き出した僕をなぐさめるために、そして握手をしたジムと僕が半分に分けるために、葡萄をくれる。 |
主な舞台 | 西洋人が多く通う、横浜の山の手の学校 |
時代背景 | 近代 (・雑誌『赤い鳥』の1920年(大正9年)8月号に掲載。1922年(大正11年)、表題作の他3篇を含む単行本『一房の葡萄』として刊行) |
作者 | 有島武郎 |
『一房の葡萄』の解説
・作品の背景
『一房の葡萄』は、雑誌『赤い鳥』の1920年8月号で発表された童話物語です。
『赤い鳥』は、鈴木三重吉が創刊し、児童のための良質な文学作品を生み出すことを目指したもので、
- 芥川龍之介
- 北原白秋
- 新美南吉
など、著名な作家たちがその理念に同調し、寄稿しています。
その2年後の1922年に、『一房の葡萄』は単行本として刊行されます。
表題作の他に、『おぼれかけた兄弟』『碁石を飲んだ八ちゃん』『僕の帽子のお話』の3篇が収められており、
- 子ども時代の罪悪感を伴う経験
が共通のテーマとなっています。
どの作品も、簡潔ながら丁寧な文体で、鮮やかな心理描写とともに、子どもが自らの口で生き生きと体験を語っているようです。
1922年という時期は、有島武郎がその生涯を自らの手で閉じる1年前にあたります。
この頃の作者は創作意欲が衰えていたようですが、この単行本には装幀・挿画を自ら手がけ、自身の3人の子どもたちへの献辞を添えました。
1918年発表の『小さきものへ』に綴られたような、幼くして母を亡くした子どもたちへ伝え残しておきたい父としての想いが、この本にも込められていると推察されます。
・絵の具を盗む原因となった、僕の心の弱さ
作者の有島武郎は幼少時に西洋式の教育を受けており、横浜英和女学校へ通っていました。
『一房の葡萄』は、作者がその当時の体験をもとに書いたものです。
西洋の雰囲気に溢れる横浜の港町を、学校の行き帰りに眺める主人公の「僕」の眼差しは、異国への憧れを感じさせます。
しかし美しい西洋の世界は、そんな僕を拒絶するかのようです。
僕が描きたいと願う綺麗な海の景色は、西洋人の友達のジムが持っている「舶来の上等の」絵の具では再現できそうでも、僕の安い絵の具では決して届かない色をしています。
物語の中で、僕は自身をこう評します。
僕はかわいい顔はしていたかも知れないが体も心も弱い子でした。その上臆病者で、言いたいことも言わずにすますような質でした。だからあんまり人からは、かわいがられなかったし、友達もない方でした。
有島武郎『一房の葡萄』
日本人の「僕」は、西洋人ばかりの級友たちに引け目を感じています。
臆病で恥ずかしがり屋の僕とは対照的に、級友たちはみな活発で賑やかです。
さらに僕には、級友たちがそんな自分を蔑んでいるように思えて仕方がありません。
例えばジムも「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」と、僕のことを友達に言っているような気がしてならないのです。
僕はジムのことを「僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手」だと思っています。
こうした自身の劣等感や、周囲への嫉妬や悔しさの入り混じった屈折した思いは、僕がジムの絵の具を盗んでしまう原因となっています。
・先生への思慕が導いた、僕の過ちへの後悔
少し孤独な学校生活の中で、受け持ちの若い女の先生だけは、僕の心の弱さを理解しつつ、僕を可愛がってくれるようです。
優しい先生に、僕は一途な好意を抱きます。
しかし、そんな大好きな先生に、自分が人の絵の具を盗むような「いやな奴」だと知られてしまうのは、堪えきれなくつらいことです。
先生の信頼を裏切った苦しさ、先生に嫌われてしまうかもしれない恐怖。
ジムの絵の具を盗んだ後の、僕の心の動揺と苦しさは、先生が僕に「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか」と静かに聞いた時、止まらない悔悟の涙に変わります。
つまり、僕は自らの過ちを、先生への思慕の気持ちによって後悔するに至ったのです。
あの位好きな先生を苦しめたかと思うと僕は本当に悪いことをしてしまったと思いました。
有島武郎『一房の葡萄』
僕を過ちと向かい合わせた先生の優しさは、その大きな力で僕を罪から救済したともいえます。
そして、自らの過ちを自覚するほど、僕には先生への甘えるように切ない慕情が生まれます。
先生の前で過ちを認める時は「もう先生に抱かれたまま死んでしまいたい」気持ちになり、翌朝は「もう一度先生のやさしい眼で見られたい」という気持ちを頼りに、僕は気の進まないまま登校します。
僕は先生に赦しを求め、そして先生はそんな心の弱い僕をどこまでも赦してくれるかのようです。
まるで母の子に対する愛情が聖性を帯びたかのような、限りない理解と優しさを、先生は僕に与えてくれます。
『一房の葡萄』の感想
・赦しが何を与えたのか
「悪いことをしたら相手にきちんと謝りなさい」というのが一般論ですが、この物語は、僕が最後まで謝罪を口にしないままに解決を迎えてしまいます。
先生は泣き出した僕を赦してなぐさめ、翌日にはジムもまた笑顔で僕を赦し握手をします。
ジムは、最初は僕を赦すつもりはなかったはずです。
先生が僕一人を部屋に残らせた時、ジムは級友たちと「少し物足らなそうに」下へ降りていきました。
したがって、ジムもその時は、僕が先生に叱られて犯した過ちの報いを受けることを望んでいたのでしょう。
しかし翌日になると、ジムは一転、学校に来た僕を親切に迎えてくれます。
ジム、あなたはいい子、良く私の言ったことがわかってくれましたね。ジムはもうあなたからあやまって貰わなくてもいいと言っています。
有島武郎『一房の葡萄』
この先生の言葉からは、先生の教えを受け入れたことで、ジムに気持ちの変化が生まれたことが分かります。
罪への償いとは自らの過ちと向き合って悔いることだと、先生は考えているようです。
先生は僕に「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか」と尋ねました。
そして涙が止まらなくなった僕を「よく解ったらそれでいいから」となぐさめています。
この考えを受け入れたとすると、僕が過ちを悔いているならば償いは十分に済んだと、ジムは考えたのでしょう。
さらに、ジムが気持ち良さそうな笑顔をしているのは、そうして僕を赦すことで、僕を懲らしめたいという苦々しい感情を捨て、本来の快活さを取り戻したからかもしれません。
このことは、僕にも成長を与えます。
僕は「前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなった」のです。
ジムが過ちを犯した自分を赦し、友達として受け入れてくれたことで、僕は少し自分に自信を持ち、それまでの心の弱さから脱却できたのではないでしょうか。
赦すということは、いわゆる普遍的な愛の力の恩恵を自他ともに与えることだ。そうしたことが、この物語の趣旨ではないかと思います。
・一房の葡萄は何を表しているのか
最後に、この物語の題となる「一房の葡萄」の示すものを考えてみたいと思います。
先生は、僕に葡萄を2回くれました。
最初は、絵の具を盗んだ後に、先生の部屋に一人残り、先生の「あなたは自分のしたことをいやなことだと思っていますか」という問いに涙が止まらなくなってしまった僕をなぐさめる時。
2回目は、翌日に、僕を赦してくれたジムと笑顔で握手をした時です。
最初の場面では、先生は、泣きやまない僕を長椅子に座らせ、「二階の窓まで高く這い上がった葡萄蔓から、一房の西洋葡萄をもぎって、シクシクと泣き続けていた僕の膝の上にそれをおいて」くれました。
僕は葡萄を食べる気にもなれずに泣いていましたが、いつの間に眠ってしまいます。
そして先生に優しく起こされ、膝の上からすべり落ちそうになった葡萄の房をつまみあげると、その瞬間に悲しさが蘇ってきます。
先生が葡萄をそっとかばんに入れてくれ、僕はそれを家に帰ってからおいしく食べてしまいます。
翌日の場面では、先生が葡萄を取って銀色の鋏で半分に分けるまでの動作が、注意深く描写されています。
先生は真白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。
有島武郎『一房の葡萄』
この作品では、物語の重要なテーマが、その色で美しく印象的に表現されています。
- 物語冒頭では、僕が描きたいと願った海の藍色と船の洋紅色。
- そして、最後に登場するのが葡萄の紫とそれを支える先生の美しい手の白
です。
僕が描こうとしていた海の藍色と船の洋紅色を混ぜると、それは葡萄の紫色になります。
ですから、葡萄はこの物語にあった全てのテーマを集約したものではないかと思います。
僕の劣等感、届かない周りへの熱い羨望、犯した過ちと、それに対する赦しや優しさ、僕の成長。
恥ずかしがり屋だった僕の少年時代の思い出が、慈愛に満ちた先生の手のひらで輝いているのではないでしょうか。
大人になった主人公は、葡萄を支える先生の白い美しい手を思い返し、優しかった先生を切なく追慕しています。
僕の少年時代の周りへの羨望や屈折した思いを理解し、そっと肩を抱くように寄り添ってくれた、先生の聖母のような優しさ。
それは作者が、幼くして母を亡くした3人の子どもたちの心理に、自らの体験をそっと重ね合わせるようでもあり、また、このような美しく甘い救いが彼らの人生にもあることを願っているようにも感じられます。
以上、『一房の葡萄』のあらすじ・解説・感想でした。