『道化の華』の紹介
『道化の華』は太宰治の書いた短編で、短編集『晩年』の中に収録がされている作品です。
本作の執筆は1935年のことで、太宰は当時26歳でした。
このころの太宰は大学卒業も難しい、就職試験も失敗、とどん底な人生を送っていました。
そしてそれより5年前の21歳当時、太宰は銀座のバーの女性と、鎌倉にてカルモチン自殺を図った過去がありました。
翌日の朝、苦悶中に発見されるものの、女性は死亡し、太宰だけが生き残りました。
当時は自殺幇助罪に問われ、起訴猶予となっています。
この『道化の華』はそんな5年前の太宰の犯した過ちをそのまま物語にした、ある意味ノンフィクションの作品となっています。
主人公は大庭葉蔵。1948年、太宰が39歳の死ぬ間際に執筆を始めた『人間失格』と同じ名前の主人公が登場することで、有名な作品です。
5年越しにこの自殺未遂の経験を物語として書きつづった背景にあるのは、当時のどん底な自分の境遇にあったかもしれません。
今回は、そんな太宰の作品、『道化の華』について解説していきます。
『道化の華』ーあらすじ
まず本作『道化の華』には何人かの主要な登場人物がいます。
主人公:大庭葉蔵、バー店員の園、友人の飛騨、親戚の小菅、看護師の眞野、葉蔵の兄です。
このお話はこの5人を中心に描かれた、療養中の4日間の出来ことを書き記した作品となっています。
以下、大まかなあらすじとなります。
主人公の大庭葉蔵は銀座のバー店員である園と心中をはかります。
しかしその結果は自分だけが助かり、園が死んでしまうというものでした。
自分1人だけが生き残ってしまった葉蔵は、青松園という肺結核患者の多い療養院で療養生活を送ることになります。
目覚めて1日目、葉蔵は今回の件に関して取り調べを受けます。
この事件はマスコミでニュースになるほどでした。
「女は死んだよ。君には死ぬ氣があつたのかね。」という警察の言葉に、自分は死ねず、相手を死なせてしまった葉蔵は嗚咽を漏らしていました。
看護師の眞野は葉蔵のお世話係をしていましたが、この時含めて葉蔵を気にかけていました。
午後は中学時代からの古い友人である飛騨が事件を聞きつけてお見舞いにやってきます。
飛騨は名のない彫刻家です。
飛騨にとって葉蔵は、葉蔵のやることをなんでもマネするほどに憧れな存在でした。
葉蔵を追いかけて同じ美術学校を出ています。
続けて、葉蔵と親戚の小菅も病室を訪れます。
冬休みで帰省中に事件を聞き、すぐに飛んできたとのことでしたが、小菅は葉蔵に「会うのが怖い」と言い、葉蔵には合わず、ご飯を食べに行きます。
その中で葉蔵が自殺未遂をした理由に関して、飛騨と小菅はあれこれ考えを言い合います。
結局飛騨と小菅は当日病院に泊まり、2日目の朝は3人の会話から始まります。
3人はほかの病室の人たちからにらまれるほど、そんなに笑うことでもないことで笑って過ごしていましたが、ふと“自殺の理由”について2人は葉蔵に問います。
葉蔵は「ほんたうは、僕にも判らないのだよ。なにもかも原因のやうな氣がして。」と答えました。
その日の午後は、葉蔵の兄がお見舞いにやってきました。
葉蔵より立派な生活を送っている兄と院長の会話を聞いて、葉蔵は急に罪悪感にかられました。
その夜、兄と飛騨は警察と片を付けに行くため夜は小菅と眞野との夜となり、眞野は眠れない葉蔵と小菅にせがまれて、自身の怪談話を聞かせました。
次の日は雪が降っていたため院内はざわついていました。
葉蔵は久々に筆を執り、雪景色をスケッチするなどして気ままに過ごしていました。
しかしその場に警察から戻ってきた飛騨は自殺幇助罪という罪で起訴の方向で話が進んでいると報告しました。
ただ、葉蔵の兄が取り計らってくれており、死んでしまった園の家族から葉蔵と会いたいとお願いされてもそれを断るなど、完全に今回の件とは縁を切らせようとしていました。
その夜のんきにトランプをしていた3人のもとに兄が訪れ、葉蔵に現状の説明と今後についての話をします。
その夜、飛騨と小菅が兄のもとで寝泊まりすることになり、眞野が代わりに同じ部屋で過ごすことになりました。
そこで、葉蔵は今回なぜ女性と死のうと思ったのかを語りだします。
3日目、院長の最後の検診が終わり、葉蔵、飛騨、小菅は部屋で騒いだせいで、眞野が怒られることがありました。
けれど眞野は3人の味方をします。眞野はもう退院まであと1日であることを悲しく思っていました。
その夜、葉蔵に眞野は自分の身の上話をたくさんしました。
4日目、良い景色の裏山に葉蔵を誘います。葉蔵と眞野はお正月の約束をしながら、歩き江の島の海を眺めるのでした。
『道化の華』―解説(考察)
あらすじを見ていくと、大庭が自殺を図った後周りの人たちとの人間模様を描いた作品に見えますが、実は上記のあらすじではある場面を抜いてあらすじとしました。
一見、大庭葉蔵の一人称に思いますが、明らかにこの作中には、この作中をメタ的にみている語り手が存在します。
今回はこの『僕』の出てくる描写をいくつか抜き出して考察を行います。
作中に出てくる『僕』
結論から記載しますと、この作中に出てくる『僕』描写は、紛れもなく筆者の太宰本人のことをさしています。
ほかのもつと強烈なものに醉ひしれつつ、僕はこの大庭葉藏に手を拍つた。この姓名は、僕の主人公にぴつたり合つた。大庭は、主人公のただならぬ氣魄を象徴してあますところがない。葉藏はまた、何となく新鮮である。古めかしさの底から湧き出るほんたうの新しさが感ぜられる。しかも、大庭葉藏とかう四字ならべたこの快い調和。この姓名からして、すでに劃期的ではないか。その大庭葉藏が、ベツドに坐り雨にけむる沖を眺めてゐるのだ。いよいよ劃期的ではないか。
太宰治『晩年』(道化の華)新潮文庫
上記引用のように、太宰は僕=自分であることのこたえを述べていました。
そして、上記の文章は
大庭葉藏はベツドのうへに坐つて、沖を見てゐた。沖は雨でけむつてゐた。
太宰治『晩年』(道化の華)新潮文庫
冒頭の文章に対する太宰自身の感想なのだと考察できます。
太宰は、大庭葉蔵を主人公に添えることが画期的であると述べています。
人間失格でも同じ主人公が使われていることから、太宰はこの名前が自分を小説に映す際に使う呼び名としてとても気に入っていたのかもしれません。
作品の物語の始まる冒頭で、ここまで作者の心情や声を入れてくる作品はほかに見ないでしょう。
現代でいうと、本作に現れる『僕』と語られる文章は、テレビで作品を見ているときの副音声的な役割を果たしているといえるでしょう。
そして、作品の中盤に差しかかるとこんな記述もあります。
さて、僕の小説も、やうやくぼけて來たやうである。ここらで一轉、パノラマ式の數齣を展開させるか。おほきいことを言ふでない。なにをさせても無器用なお前が。ああ、うまく行けばよい。
太宰治『晩年』(道化の華)新潮文庫
ここは友人の飛騨、小菅、眞野の3人で葉蔵がなぜ心中などしようとしたのかを予想しあっている場面のあとになります。
自分で書きながら、特に物語のキーにもならない単調な話の仕様にまるで自身で突っ込みを入れているような感じを覚えますが、この登場人物たちの言い合いの場面を太宰はのちにこのように自身で解説を入れています。
僕はまへにも言ひかけて置いたが、彼等の議論は、お互ひの思想を交換するよりは、その場の調子を居心地よくととのふるためになされる。なにひとつ眞實を言はぬ。けれども、しばらく聞いてゐるうちには、思はぬ拾ひものをすることがある。彼等の氣取つた言葉のなかに、ときどきびつくりするほど素直なひびきの感ぜられることがある。不用意にもらす言葉こそ、ほんたうらしいものをふくんでゐるのだ。
太宰治『晩年』(道化の華)新潮文庫
この登場人物たちの役割は『その場の調子を居心地よくする』ことに置いているのであり、でもだからこそ、時々びっくりするほど素直な響きを感じるものがあるとのことです。
そして、この「彼ら」の中には葉蔵も含まれており、このシーンは葉蔵が「なぜ心中を図ったのか」を尋ねられてこう答えたシーンもかかってきます。
「ほんたうは、僕にも判らないのだよ。なにもかも原因のやうな氣がして。」
葉藏はいま、なにもかも、と呟いたのであるが、これこそ彼がうつかり吐いてしまつた本音ではなからうか。彼等のこころのなかには、渾沌と、それから、わけのわからぬ反撥とだけがある。或ひは、自尊心だけ、と言つてよいかも知れぬ。しかも細くとぎすまされた自尊心である。どのやうな微風にでもふるへをののく。侮辱を受けたと思ひこむやいなや、死なん哉ともだえる。葉藏がおのれの自殺の原因をたづねられて當惑するのも無理がないのである。――なにもかもである。太宰治『晩年』(道化の華)新潮文庫
これは葉蔵の本音について太宰の考察を記載した部分ですが、私はこの葉蔵の描写は実際、太宰が執筆の5年前に前に自殺未遂を図り、女性だけが死んでしまったという経験をした際の自分のことを振り返っているのではないかと思います。
当時もこの作品と同じく「自殺ほう助」の罪で起訴猶予になっていますので、本作と同じように「どうして自殺未遂を図ったのか」いたるところで聞かれたはずです。
当時の太宰自身も答えを出せず、作品としてお落とし込んで初めて、自分の当時のことがわかってきた、ということなのではないでしょうか。
以上のことから、『道化の華』の中には、物語の解説のような位置づけで時々太宰が登場していることがお判りいただけたかと思います。
ここからはそんな太宰直々に、この『道化の華』に対しどういった評価をしているのかを見ていきます。
太宰による『道化の華』の執筆意味と評価
太宰はたびたび小説に登場しながら、ことあるごとに自分の心情や自分の小説の評価を綴っています。
なにもかもさらけ出す。ほんたうは、僕はこの小説の一齣一齣の描寫の間に、僕といふ男の顏を出させて、言はでものことをひとくさり述べさせたのにも、ずるい考へがあつてのことなのだ。僕は、それを讀者に氣づかせずに、あの僕でもつて、こつそり特異なニユアンスを作品にもりたかつたのである。それは日本にまだないハイカラな作風であると自惚れてゐた。しかし、敗北した。いや、僕はこの敗北の告白をも、この小説のプランのなかにかぞへてゐた筈である。できれば僕は、もすこしあとでそれを言ひたかつた。いや、この言葉をさへ、僕ははじめから用意してゐたやうな氣がする。ああ、もう僕を信ずるな。僕の言ふことをひとことも信ずるな。
太宰治『晩年』(道化の華)新潮文庫
太宰によるとことあるごとに太宰の解説が登場することは、「日本にないハイカラな作風である」ことを狙ってのことだったと自白しています。
ただしかし、そのハイカラな部分に関しては太宰は「敗北」したといっています。
そしてこの「敗北」した結果を書き込むことさえもこの『道化の華』の執筆プランの1つだった「かもよくわからない」、というのが執筆当時の太宰の本音なのではないかと、上記の本文を読んで感じます。
思ひ切つて、僕は顏を出す。さうでもしないと、僕はこのうへ書きつづけることができぬ。この小説は混亂だらけだ。僕自身がよろめいてゐる。(中略) どだいこの小説は面白くない。姿勢だけのものである。こんな小説なら、いちまい書くも百枚書くもおなじだ。しかしそのことは始めから覺悟してゐた。書いてゐるうちに、なにかひとつぐらゐ、むきなものが出るだらうと樂觀してゐた。僕はきざだ。きざではあるが、なにかひとつぐらゐ、いいとこがあるまいか。僕はおのれの調子づいた臭い文章に絶望しつつ、なにかひとつぐらゐなにかひとつぐらゐとそればかりを、あちこちひつくりかへして搜した。
太宰治『晩年』(道化の華)新潮文庫
以上の引用からも、太宰がどれだけ迷いあがきながらこの小説を書いたのかがわかる部分となっています。
駄作だと罵りながら、書きながら、どこか小説としてよい部分はないのかを懸命に探す太宰の心情が描かれています。
この小説を書きながら僕は、葉藏を救ひたかつた。いや、このバイロンに化け損ねた一匹の泥狐を許してもらひたかつた。それだけが苦しいなかの、ひそかな祈願であつた。しかしこの日の近づくにつれ、僕は前にもまして荒涼たる氣配のふたたび葉藏を、僕をしづかに襲うて來たのを覺えるのだ。この小説は失敗である。なんの飛躍もない、なんの解脱もない。僕はスタイルをあまり氣にしすぎたやうである。そのためにこの小説は下品にさへなつてゐる。たくさんの言はでものことを述べた。しかも、もつと重要なことがらをたくさん言ひ落したやうな氣がする。これはきざな言ひかたであるが、僕が長生きして、幾年かのちにこの小説を手に取るやうなことでもあるならば、僕はどんなにみじめだらう。おそらくは一頁も讀まぬうちに僕は堪へがたい自己嫌惡にをののいて、卷を伏せるにきまつてゐる。いまでさへ、僕は、まへを讀みかへす氣力がないのだ。ああ、作家は、おのれのすがたをむき出しにしてはいけない。それは作家の敗北である。美しい感情を以て、人は、惡い文學を作る。僕は三度この言葉を繰りかへす。そして、承認を與へよう。
数々引用を用いてきましたが、まず『道化の華』は“葉蔵を救う”ための小説であることが物語の終盤で明かされます。
そしてこれは“葉蔵”という名の“5年前の自分”であると考察します。
しかし、許しを得ることに加え、ハイカラだの、ロマンティックだの体裁をあまりに気にしすぎたがために、己の姿むき出しの下品な小説になってしまった、「作家としてはみじめだ」というのが太宰の『道化の華』に対する総括となります。
『道化の華』―感想
冒頭にもお話しましたが、この『道化の華』は太宰が実際にバーの女性と心中し自分だけが生き残ってしまった経験談を小説として書き起こしたものに間違いありません。
太宰はこの経験を題材と上げることで自分の気持ちを整理し、当時の自分を、小説に出てくる周囲の人間関係で救いたかった、これは本当のことと思います。
ただ、自分の贖罪を綴り許しを請うことと、作家として人に認められることの両方を欲張ってしまった結果、どちらの目的でみても自分の納得のいかない下品な作品になってしまった、と言えるのではないでしょうか。
現代の様々なコンテンツで太宰自身を好きになってしまった皆様には、太宰の苦悩がそのまま日記かのようにつづられている本作はとてもグッとくるものがあるのではないのでしょうか。
まさに太宰を深く知るにはうってつけの1作となっています。